相馬愛蔵(読み)ソウマ アイゾウ

20世紀日本人名事典 「相馬愛蔵」の解説

相馬 愛蔵
ソウマ アイゾウ

明治〜昭和期の実業家 中村屋創業者。



生年
明治3年10月15日(1870年)

没年
昭和29(1954)年2月14日

出生地
信濃国穂高(長野県)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治23年〕卒

経歴
郷里で蚕種製造に携わり「蚕種製造論」を著作。明治34年妻・良(黒光)とともに上京し、東京・本郷のパン屋・中村屋を譲り受け開業、40年新宿に移転インテリ・パン屋として評判となる。大正12年会社組織として会長。昭和3年欧州を巡遊。妻と共にロシアの亡命詩人エロシェンコ、インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボース、画家中村彝ら芸術家を保護援助した。ボースからインドのカレーの製法を直伝され、“カリーライス”(カレーライス)として店に出し有名となる。20年の戦災で焼失したが再建著書「一商人として」「続・一商人として」「商店経営三十年」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「相馬愛蔵」の意味・わかりやすい解説

相馬愛蔵
そうまあいぞう
(1870―1954)

実業家。新宿中村屋の創立者。長野県生まれ。1890年(明治23)東京専門学校(現早稲田(わせだ)大学)卒業。1901年(明治34)東京・本郷にパン製造小売りの中村屋を開業。07年新宿に移転し、「カリーライス」「中華饅頭(まんじゅう)」などの独創的食品を発売、原料部門へも進出して経営を多角化した。23年(大正12)株式会社に改組インド独立運動の志士ビハリ・ボースを保護した。夫人相馬黒光(こっこう)。

[前田和利]

『相馬愛蔵著『一商人として』新版(1984・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相馬愛蔵」の解説

相馬愛蔵 そうま-あいぞう

1870-1954 明治-昭和時代の実業家。
明治3年10月15日生まれ。34年上京,本郷にパン屋中村屋を開業。42年新宿に移転,経営の多角化をはかり,カリーライス,月餅(げっぺい)などで知られる新宿中村屋をきずく。妻黒光(こっこう)の文化人サロンを援助した。昭和29年2月14日死去。83歳。信濃(しなの)(長野県)出身。東京専門学校(現早大)卒。著作に「一商人として」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「相馬愛蔵」の解説

相馬 愛蔵 (そうま あいぞう)

生年月日:1870年10月15日
明治時代-昭和時代の実業家。中村屋創業者
1954年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の相馬愛蔵の言及

【相馬黒光】より

…仙台に生まれ,押川方義の影響でキリスト教徒となる。明治女学校を出て長野県の企業家で社会改良運動家相馬愛蔵と結婚するが,婚家の気風になじまず,1901年夫とともに東京に出,本郷にパン屋中村屋を開業した。はじめは苦労を重ねたが,店を新宿に移してからは東京の西郊への発展も幸いして事業はしだいに軌道に乗り,山手のインテリ層を中心に顧客をひろめた。…

※「相馬愛蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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