日本歴史地名大系 「真土大塚山古墳」の解説
真土大塚山古墳
しんどおおつかやまこふん
平塚砂丘の北端にあり、標高二〇メートルを測り、市内の砂丘上では最も高い。現水田との比高は一三メートル。昭和三五年(一九六〇)に周辺の工場敷地整地のため削平され、跡地に社員住宅が建設されて完全に消滅した。昭和一〇年墳丘中央部にある松の根株から三角縁神獣鏡・直刀・白銅鏃(大小四三本)・巴形銅器(三個)・土師器が発見され、古墳であることが判明。翌一一年の調査で平根銅鏃・白銅鏃・巴形銅器、直刀・刀子断片、管玉などが発掘された。その後昭和三五年に土取工事に先立ち墳丘の調査と墳丘中央の再発掘が行われた。このとき三〇歳をやや越す壮年期の人骨・変形四獣鏡・有茎平根・鉄製・楔形鉄器・水晶製勾玉・算盤玉・管玉・ガラス小玉などが出土している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報