イギリスの劇作家シェークスピアの五幕喜劇。1594~1595年ごろの作と推定されている。シェークスピアとしては例外的に、この筋書きの典拠は不明であり、おそらく自己の創案によるものであろう。
シーシュース公爵とヒポリタの結婚式が間近いアテネで、若い女性ハーミアは父の命ずるディミートリアスとの結婚を嫌って、ライサンダーを愛しているが、アテネの法律は父の命(めい)に背く者に死刑を命じているので、ライサンダーとハーミアは郊外の森に逃れるが、ディミートリアスはその後を追い、以前にディミートリアスの恋人であったヘレナも森に入る。しかし、ここには大ぜいの妖精(ようせい)が住み、妖精王オベロンとティテニア王妃は人間のように夫婦喧嘩(げんか)をしている。またこの森には公爵の結婚式を祝う余興の素人(しろうと)芝居を計画している村の職人たちも集まっている。そのなかを恋の媚薬(びやく)を持った妖精パックが走り回り、媚薬配布の間違いのため恋愛の方向逆転などの笑えない悲劇的場面も生じるが、結局ライサンダーとハーミア、ディミートリアスとヘレナが結ばれ、公爵とともに結婚式をあげ、村人たちの滑稽(こっけい)極まる悲劇が上演されて、万事めでたく終わる。
アテネの貴族と職人と妖精という三つの世界が森の中で相会し、不即不離の関係を保ちながらロマンチックな夢幻的な世界が展開されていく。おそらく貴族の結婚祝賀用に書かれた戯曲であろうが、青年期のシェークスピアを代表する叙情的な愛の喜劇である。
[小津次郎]
ドイツ・ロマン派の作曲家F・メンデルスゾーンは、この戯曲のために付随音楽を作曲、今日では上演に欠かせないものになっている。序曲(作品21)と12の劇中音楽(作品61)からなり、序曲は1826年の作。そのほかは1843年にプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム4世が建設した王立劇場の落成公演のために、王の依頼で作曲されたもので、全編若々しい詩情に満ちている。とりわけ第八曲「結婚行進曲」は名高い。
また、フランス・ロマン派の作曲家C・トマと、イギリスのブリテンによるオペラ化もある。前者は1850年パリ初演、後者は1960年の作曲で、原作の語句をそのままに短縮・再編した作曲者自身とピーター・ピアーズの台本により、同年6月のオールドバラ音楽祭で初演された。
[三宅幸夫]
『土井光知訳『夏の夜の夢』(岩波文庫)』▽『『真夏の夜の夢』(野上豊一郎訳・新潮文庫/三神勲訳・角川文庫)』▽『小田島雄志訳『シェイクスピア全集12 真夏の夜の夢』(1983・白水社)』
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…(3)劇やオペラの幕間に奏される劇間音楽で,通例,器楽曲。17世紀後半以降,インテルメッツォintermezzo,アクト・チューンact‐tune,アントラクトentr’acteなどの名でも呼ばれ,シューベルトの《ロザムンデ》,メンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》などの間奏曲は代表的なものである。これらは単独に演奏されることも多い。…
…ドイツの作曲家。ユダヤ系ドイツ人として,ハンブルクで富裕な銀行家の家に生まれ,1811年ベルリンに移り住んだ。音楽教育は早くから始められ,ゲーテと親しいC.F.ツェルターにも師事した。10歳のときから作曲を始めるが,声楽はバッハやヘンデル,器楽ではとくにベートーベンから強い影響を受けた。それゆえ,初期の作品においては,声楽は古いスタイルに従い,器楽ではかなり大胆な試みがなされるという二重の様相を呈している。…
…夏至の日には泉を清める行事もあり,薬草さがしや宝さがし,占い棒さがしにもよい日とされた。なお,聖ヨハネ祭の前夜には,妖精(ようせい),魔女,死霊,生霊などが,この地上に姿を現すと信じられ,シェークスピアの《真夏の夜の夢》も,そのような伝承を背景として生まれたものである。 日本では農事との関連で,半夏生(はんげしよう)のほうが強く意識され,夏至には特記するほどの習俗や行事は生まれなかった。…
… 本来優秀な挿絵画家であり,人形作家であったトルンカは,まず〈セル・アニメ〉に取り組み,世界に類例のないグラフィック・アートを用いた《贈り物》(1946)をつくって注目を集め,アメリカのスティーブン・ボサストウやユーゴのドゥーシャン・ブコチッチなどに大きな影響を与えたが,トルンカ自身は〈セル・アニメ〉の表現の可能性に疑問を抱くと同時に,動画の作画工程で自分の絵の味わいが損なわれる点に不満をもち,人形劇の体験を生かして,前人未踏の人形アニメーションの世界をつくりあげた。人形のデザインから,製作,原案,シナリオ,絵コンテ,セットや小道具のデザイン,照明や撮影の指示,そしてみずから演技を示してアニメーターに演出意図を伝えるというところに至るまで,完ぺきな〈個人芸〉に徹したアニメづくりで,その個性と才気,美意識は,アンデルセン童話に託して自由へのあこがれと生命の輝きを歌いあげた《支那の皇帝の鶯》(1948),独特の抵抗精神をこめたチェコ国民風刺文学の映画化《シュベイク二等兵》シリーズ(1951‐55),華麗な美学と新解釈でシェークスピアに挑んだ《真夏の夜の夢》(1959),芸術の自由と圧政との戦いの中に苦渋に満ちた深いなぞを含む遺作《手》(1965)等々,すべての作品にうかがえる。アメリカのウォルト・ディズニーと並ぶアニメーションの巨匠といえる存在であり,その後継者として,例えばトルンカに親しく教えを受けたただ1人の日本人のアニメーション作家川本喜八郎がいる。…
…1595年ごろ創作。《真夏の夜の夢》と訳されることもある。おそらく貴族の結婚祝賀用に書かれたもので,五月祭や夏至祭(6月24日)にまつわる民間伝承に題材を得ている。…
…俳優としてO.ブラームに発見され,1894年からベルリンのドイツ座に登場したが,やがてブラーム的な自然主義を離れて1902年に独立。象徴的,新ロマン主義的な新しい傾向を示す作品《どん底》や《サロメ》の上演に成功して,05年にはブラームに代わってドイツ座の監督となり,回り舞台を駆使した《真夏の夜の夢》で演出家としての評価を決定づけた。〈劇場の魔術師〉とよばれた彼は,感覚的でスペクタクル的な演出によって,当時の禁欲的な自然主義にあきた観客をイリュージョン的な雰囲気に巻き込んだが,一方では演劇に〈真の演劇性〉を回復することを目ざし,新しい演劇空間の発見に努めた。…
※「真夏の夜の夢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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