石坂公成(読み)イシザカキミシゲ

デジタル大辞泉 「石坂公成」の意味・読み・例文・類語

いしざか‐きみしげ【石坂公成】

[1925~2018]免疫学者。東京の生まれ。昭和41年(1966)、妻の照子との共同研究により、アレルギー発症の鍵となる抗体免疫グロブリンE発見発表。アレルギー発症の仕組みを解明し、アレルギー研究の発展に寄与した。昭和48年(1973)照子らとともにガードナー国際賞受賞。以後も免疫学の世界的権威として活躍し、平成12年(2000)には日本国際賞を受賞した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石坂公成」の意味・わかりやすい解説

石坂公成
いしざかきみしげ

[生]1925.12.3. 東京
[没]2018.7.6. 山形,山形
免疫学者。1948年東京大学医学部卒業,1953年国立予防衛生研究所(→国立感染症研究所)血清部免疫血清室長を経て,1962年アメリカ合衆国のコロラド大学助教授,1970~89年ジョンズ・ホプキンズ大学教授,1974~80年京都大学教授を兼任。1989~96年ラホヤ・アレルギー免疫研究所所長およびカリフォルニア大学内科教授。免疫反応には何種類もの免疫グロブリン Igが中心的役割を果たしているが,石坂はそのうち 5番目の免疫グロブリンを発見した。1966年にアレルギー疾患患者の血中抗体反応として知られる P-K(プラウスニッツ=キュストナー)反応に陽性を示す成分をブタクサ花粉症患者から精製,それをウサギに注射して抗体をつくらせることに成功した。これは P-K反応陽性成分が免疫グロブリンの一種であることを意味しており,のちに IgEと呼ばれるようになった。石坂はこれらの発見およびこのタイプの免疫反応の仕組みに関する研究で,1974年文化勲章受章,同年日本学士院賞・恩賜賞を受賞。1999年勲一等瑞宝章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石坂公成」の解説

石坂公成 いしざか-きみしげ

1925- 昭和後期-平成時代の免疫学者。
大正14年12月3日生まれ。国立予防衛生研究所,アメリカ小児喘息(ぜんそく)研究所などをへて,昭和45年ジョンズ-ホプキンズ大教授,49年京大教授をかねる。のちカリフォルニア大教授。免疫グロブリンEの発見,レアギン型アレルギーの機序の研究で,49年学士院恩賜賞。同年文化勲章。平成9年学士院会員。12年日本国際賞。東京出身。東大卒。

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367日誕生日大事典 「石坂公成」の解説

石坂 公成 (いしざか きみしげ)

生年月日:1925年12月3日
昭和時代;平成時代の免疫学者

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世界大百科事典(旧版)内の石坂公成の言及

【アトピー】より

…25年にはコカ自身によって,アトピー罹患患者の血清中に,皮膚反応によって証明される抗体様物質が高率に存在することが明らかにされ,コカはこの物質をアトピー性レアギンatopic reaginと名づけた。このアトピー性レアギンの本態は,66年石坂公成らにより,特異な生物活性をもった免疫グロブリン(IgE)に属する抗体であることが証明された。体外から侵入した抗原物質(アレルゲン)に対してIgE抗体が産生される状況は,個人個人によって異なり,遺伝傾向が強い。…

【気管支喘息】より

…コカArthur F.Coca(1875‐1959)は喘息患者に認められる特異な抗体をレアギンと呼んだ(1923)。以後40年を経て,石坂公成によりレアギン抗体がIgE(免疫グロブリンの一つ)であるという画期的な発見がなされ(1966),喘息研究は新しい時代を迎えた。 その後,分子生物学的アプローチにより喘息の病態の解明は大きく進み,1990年代には喘息は気道の慢性炎症性疾患として定義付けられ,近年では遺伝子レベルでの病態の研究も進められている。…

※「石坂公成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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