石塔寺(読み)いしどうじ

日本歴史地名大系 「石塔寺」の解説

石塔寺
いしどうじ

[現在地名]蒲生町石塔

石塔集落の東方山中にある。阿育王山と号し、天台宗本尊聖観音

近江若狭・越前寺院神社大事典〉

〔三重塔〕

本堂裏山にある高さ約七・五メートルの石造三重塔(国指定重要文化財)は奈良時代の作とされるが、古くからインドのマウリヤ王朝三代アショーカ王が建立した八万四千の舎利塔の一つと伝承されていて(「拾芥抄」「元亨釈書」など)、同塔に対する信仰が当寺の信仰の核心であった。その後、境内には数多くの石塔が建立され、寛政二年(一七九〇)当寺を訪れた司馬江漢は「そこらあたり、皆石とうの片われなり。寺ラあり。石塔寺と云。本堂の石つへ(礎)ふみ段、其外皆石塔の古きを用ゆ。石だんを二三十間登る。其石たんも皆石塔なり」と記している(江漢西遊日記)。なお三重塔は朝鮮半島の層塔の系譜を引くものとされ、ことに百済定林寺跡塔と類似していることから、天智天皇八年(六六九)百済の人鬼室集斯ら七〇〇人余が蒲生がもう郡に移り住んだこと(「日本書紀」同年是歳条)と関連づけて、百済系渡来人の造立とする説がある。一方、近年の研究では高麗時代の長蝦里塔との類似を指摘して、一〇世紀以降の創建とする説もある。

〔石塔をめぐる伝承〕

「本朝高僧伝」寂禅の項によると、当寺は聖徳太子が建立した近江四八ヵ寺のうち最後に建てられた寺で、当初成就寺と号したが、一条天皇の代に石塔が出土し、現寺名に改めたという。


石塔寺
せきとうじ

[現在地名]向日市鶏冠井町 山畑

鶏冠井かいで集落の南西端にあり、旧西国街道に面する。正式寺号は本山石塔寺。本化日蓮宗本山。本尊十界大曼荼羅。日蓮宗をはじめて京都に伝えた日像は、京都七口に通じる街道に題目を刻んだ石塔を建てた。室町時代これら日像題目石への信仰が盛んとなり、当寺は西国街道の題目石塔信仰から起こった寺である。開山を日像とするが、実質的には延徳二年(一四九〇)に没した啓運院日成が開基。江戸時代初期不受不施派となったが、寛文六年(一六六六)の不受不施禁制後、妙顕みようけん(現京都市上京区)末となった。幕末までに寺運は衰えたらしく、明治一〇年代の乙訓郡寺院明細帳は、明治一〇年(一八七七)鶏冠井村内の興隆こうりゆう寺の建物を移建して合併、再建中興したと述べている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の石塔寺の言及

【向日[市]】より

…向日神社の社前,西国街道に面する向日町は,江戸時代には商人や手工業者の集住した在郷町であった。鶏冠井町には,鎌倉末期に日像によって関西初の日蓮宗寺院として開かれたという真経寺(南北2寺がある),本化日蓮宗本山石塔寺がある。なお向日神社は式内社で,中世には周辺郷村の産土神(うぶすながみ)として厚く崇敬された。…

※「石塔寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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