江戸中期の浮世絵師。生没年不詳。土屋家の浪人で,江戸両国橋広小路薬研堀に住む。名は正勝,通称庄兵衛,湖竜ないし湖竜斎と号した。師は西村重長と伝えるが確かではない。明和年間(1764-72)は春広の画名で鈴木春信風の美人風俗画を発表,春信没後の安永年間(1772-81)に個性的作風を確立,一時もっとも人気の高い美人画家として活躍した。《名鳥坐鋪八景》など中判の揃物(そろいもの)を各種制作したが,柱絵の名手としても聞こえ,あぶな絵・秘画の傑作も多い。大判錦絵の連作《雛形若菜の初模様》は,浮世絵美人画に現実性を与える端緒となり,次代の人気絵師鳥居清長に引き継がれた。晩年は版画から離れて肉筆画に専心,法橋位を得ている。1807年(文化4)の川上不白の賛がある肉筆画《朝顔に子供》が知られ,そのころまで生存していたことが推定される。
執筆者:小林 忠
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。江戸後期の浮世絵師。名を正勝、通称を庄兵衛といい、江戸・両国橋広小路薬研堀(やげんぼり)に居住した。江戸・小川町土屋家の浪人で、絵は西村重長(しげなが)に学ぶと伝える。鈴木春信(はるのぶ)全盛の明和(めいわ)年間(1764~1772)は春広の画名で春信風の作品を発表、春信没後の安永(あんえい)年間(1772~1781)に独自の作風を開花させ、美人風俗画の人気絵師となった。また柱絵の名手として知られ、秘画にも優れた。法橋(ほっきょう)位を得た晩年は肉筆画に専念し、1807年(文化4)に茶人川上不白(ふはく)が賛をした『朝顔に子供』の作例も伝わる。錦絵(にしきえ)の代表作に『名鳥坐鋪(ざしき)八景』(中判八枚揃(ぞろい)、1774~1775ころ)、『雛形(ひながた)若菜の初模様』(大判揃物、1777~1782ころ)などがある。
[小林 忠]
(大久保純一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…そして,人形のように無表情な細腰の優しい男女を主人公として,古典和歌の詩意を時様の風俗の内にやつし,あるいは伝統的主題を平俗に見立てるなどしながら,浪漫的情調のこまやかな風俗表現に一風を開いている。春信画の夢幻的な虚構性は,礒(磯)田湖竜斎がしだいに払拭し,天明年間の鳥居清長にいたって,浮世絵美人は現実的な背景の中に解放されることになる。清長の美人画像は八頭身の理想的なプロポーションをとり,大判二枚続,三枚続の大画面に展開され,開放的な野外風景の中で,群像として知的に構成される。…
※「礒田湖竜斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新