鈴木春信(読み)スズキハルノブ

デジタル大辞泉 「鈴木春信」の意味・読み・例文・類語

すずき‐はるのぶ【鈴木春信】

[1725?~1770]江戸中期の浮世絵師。江戸の人。本姓は穂積、通称、次郎兵衛。号、思古人。錦絵にしきえの成立に中心的な役割を果たした。美人画を得意とし、遊里風俗や市井しせいの日常生活の情景に古典和歌の歌意などを通わせた見立絵みたてえを好んで制作。

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精選版 日本国語大辞典 「鈴木春信」の意味・読み・例文・類語

すずき‐はるのぶ【鈴木春信】

  1. 江戸中期の浮世絵師。本姓は穂積。通称は次兵衛または次郎兵衛。号は長栄軒、思古人。明和初年流行した絵暦の製作を通して錦絵版画を工夫。古典和歌に取材し、それを一般婦女子風俗に見立てる春信様式を完成、浮世絵に写実的傾向をもたらした。代表作座敷八景」「雪中相合傘」。享保一〇頃~明和七年(一七二五頃‐七〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木春信」の意味・わかりやすい解説

鈴木春信
すずきはるのぶ
(?―1770)

江戸中期の浮世絵師。錦絵(にしきえ)の創始者。本姓は穂積(ほづみ)、通称は次郎兵衛、号は思古人。江戸神田(かんだ)白壁町に住み、西村重長(しげなが)の門人と伝えられるが明らかでなく、奥村政信(まさのぶ)、石川豊信(とよのぶ)、鳥居清満(とりいきよみつ)ら江戸の浮世絵師のほか、京都の西川祐信(すけのぶ)の影響も受けて独自の優美可憐(かれん)な美人画様式を確立。生年は1725年(享保10)と推定されているが、その伝記はほとんど不明。活躍期間は1760年(宝暦10)以降の10年間で、ことに最晩年の5年間は人気随一の流行絵師として画壇に君臨した。

 1765年(明和2)江戸の好事家(こうずか)の間で流行した絵暦(えごよみ)の競作は、木版多色摺(ずり)の技術を急速に発展・洗練させたが、それを浮世絵の版元が活用するところとなり、錦絵が誕生した。春信はこのおりの絵暦制作に中心的な役割を果たし、錦絵の商品化にも大きく貢献した。好んで扱った主題は、吉原の遊里風俗のほか、青年男女の清純な恋愛や親子兄弟の和やかな情愛など、市井に繰り広げられる日常生活の場景が目だつ。しかもそれらを古典和歌の歌意などと通わせた見立絵(みたてえ)として表すなど、浪漫(ろうまん)的な情趣濃い造形を得意とし、王朝的美意識を追慕するみやびな絵画世界を確立させた。また最晩年には、江戸の風景を絵の背景に写し込み、あるいは笠森稲荷(かさもりいなり)境内の水茶屋の娘かぎ屋お仙など評判の町娘や吉原遊廓(ゆうかく)における全盛の遊女らを実名で扱うなど、実感的な描写にも意欲を示して次代の方向を明確に予告した。錦絵の判式はほとんど中判(約28センチメートル×20センチメートル)に限られ、代表作に『座敷八景』(八枚揃(ぞろい)、1765ころ)、『縁先物語』『雪中相合傘』(いずれも1760年代後半)がある。また『絵本花葛羅(はなかつら)』(1764)、『青楼美人合(あわせ)』(1770)などの絵本にも秀作を残したが、肉筆画は少ない。門人に鈴木春重(はるしげ)(司馬江漢(こうかん))、駒井美信(よしのぶ)らがおり、礒田湖竜斎(いそだこりゅうさい)に強い影響を与えた。平賀源内、大田南畝(なんぽ)、大久保巨川らとの交友も注目される。法名は法性真覚居士(こじ)と伝えられるが、菩提寺(ぼだいじ)は不明。

小林 忠]

『小林忠編著『浮世絵大系2 春信』(1973・集英社)』『楢崎宗重編『在外秘宝 鈴木春信』(1972・学習研究社)』


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朝日日本歴史人物事典 「鈴木春信」の解説

鈴木春信

没年:明和7.6.15(1770.7.7)
生年:享保10?(1725)
江戸中期の浮世絵師。本姓穂積,あるいは鈴木氏,通称次郎兵衛,または次兵衛。別号に思古人,長栄軒がある。絵は西村重長,あるいは西川祐信に師事したと伝え,遅くとも宝暦10(1760)年にはすでに浮世絵画壇にデビューしている。それ以前の伝歴はほとんどわかっていない。画壇に出た宝暦(1751~64)後期から続く明和1(1764)年にかけては,細判役者絵や故事説話画,美人風俗画などの紅摺絵版画を発表したが,この間の作品は,いずれも宝暦年間に人気を得た他の浮世絵師たちの作風に追随しており,文字どおり雌伏期といった感が強い。 こうした閉塞状況を一変させ,絵師春信を一躍浮世絵界のスターダムにのしあげたのが,明和2年に好事家たちのサークルで活況を呈した絵暦交換会であった。太陰暦の使われた江戸時代では,おのおのの年毎に月々の大小を知る暦が使われたが,この年文化人たちが競ってつくった絵暦は,それまでの未熟な木版画の技術をさらに高度な多版多色摺へと劇的に進歩させた。これら絵暦の作画を担当した浮世絵師のなかで,春信は版画の彫摺技術の向上に伴う色彩表現の可能性を探るなど積極的に主導的役割を果たし,以降は明和期(1764~72)を代表する当世美人絵師として,きらびやかな錦絵の創製にも尽力,吾妻錦絵として次々と世に送り出していった。 春信の美人画様式は,この明和2年に量産された絵暦への作画と,このときの制作熱の副産物ともいえる誕生したばかりの錦絵への作画とによっていきおい整理され,確立をみた。もっぱら中判錦絵を自らの作品発表の場としたが,春信独特の抒情性豊かな美人画に登場する男女は,いずれも少年少女のように無垢であどけない表情をみせ,あくまでも中性的,夢幻的な空間に生きる存在として自己完結している。一種幻想的な世界が構築されたこれら錦絵において,描かれる男女その他の図様は,実はそのほとんどが西川祐信ら先輩絵師の版本類から借用されたものであったが,春信はいわばそれらを独自の画風によって別次元の絵画に転化,再生し,一世を風靡したのである。なお,笠森おせんなど往時人気の江戸の評判娘をとらえる一方で,「座敷八景」「風俗四季歌仙」などの傑作を生んだ春信錦絵には,古典を時世風俗に置き換えて描く見立絵が多く含まれる点が特筆される。没年までの5年ほどの間に,駆け足で1000点あまりの作例を遺したが,まさに錦絵時代の開幕を高らかに宣言した浮世絵界の寵児といえよう。

(内藤正人)

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改訂新版 世界大百科事典 「鈴木春信」の意味・わかりやすい解説

鈴木春信 (すずきはるのぶ)
生没年:1725?-70(享保10?-明和7)

江戸中期の浮世絵師。活躍期は1760年(宝暦10)から没年までの10年ほどで,ことに錦絵草創期の後半5年間は抒情的美人風俗画で一世を風靡(ふうび)した。本姓は穂積,通称は次郎兵衛または次兵衛。思古人,長栄軒と号した。江戸神田白壁町(一説に両国米沢町)に居住した。浮世絵の師は西村重長と伝えるが明らかでなく,実際には奥村政信や鳥居清満,それに京都の西川祐信らの作風を学んで成長した。宝暦年間(1751-64)の紅摺絵(べにずりえ)期には役者絵や古典志向の歌仙絵,武者絵などの作品も目立つが,やがて独自の繊細優美な美人画風を形成,注目を集めるようになる。ことに1765年(明和2)に江戸で流行した絵暦交換会ではめざましい活躍ぶりをみせ,好事家や彫師,摺師の技術者と協力して多色摺木版画錦絵の誕生に主導的な役割を果たした。錦絵草創期に木版による色彩表現の可能性を豊かに開発した春信は,一躍浮世絵界随一の人気絵師となり,没するまでの5年間に700点以上の錦絵作品を発表する精力的な活躍ぶりをみせた。中判(約28cm×20cm)という正方形に近い安定した判式を守り,中間色を主調とする周到な色面配置と,祐信に学んだ構築的な空間構成によって,濃密な詩的情趣に包まれた夢幻的世界を,実在感豊かに描き続けた。錦絵期にはもはや役者絵を描かず,美人画も遊女ばかりでなく当時評判の町娘(笠森おせんや本柳屋お藤など)をモデルにしたり,市民の日常生活に取材するなど,通例の浮世絵師とは異なる独特の主題傾向をみせた。古典和歌を図上に記し,その抒情を同時代の生活風俗に見立てる手法(見立絵)にとくに秀でた。代表作に《座敷八景》(全8図)や,《雪中相合傘》《おせんの茶屋》などがある。
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百科事典マイペディア 「鈴木春信」の意味・わかりやすい解説

鈴木春信【すずきはるのぶ】

江戸中期の浮世絵師。本姓穂積,通称次兵衛,長栄軒と号す。西村重長の門人と伝える。初め鳥居派風の美人画役者絵を描いたが,1765年俳諧(はいかい)師の大小の会(絵暦の交換会)に画家として参加,彫師や摺(すり)師の協力を得て多色摺木版画(錦絵)を実現した。春信様式といわれる古典の見立てをモチーフとした抒情的美人画様式には西川祐信の影響が強く認められる。以後楚々(そそ)とした童顔の美人によって夢幻的な愛の世界を描出し,浮世絵界に君臨。代表作に《座敷八景》《風俗四季歌仙》がある。
→関連項目礒田湖竜斎一筆斎文調司馬江漢文化文政時代見立絵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鈴木春信」の意味・わかりやすい解説

鈴木春信
すずきはるのぶ

[生]享保10(1725).江戸
[没]明和7(1770).6.14/15. 江戸
江戸時代中期の浮世絵師。本姓は穂積,通称は次郎兵衛 (次兵衛) ,思古人と号する。神田白壁町に居住。大田南畝,大久保忠舒,平賀源内らとも親交があったといわれる。師弟関係や詳細な伝記は不明。宝暦 10 (1760) 年頃から紅摺絵を描き,明和2 (65) 年多色摺木版画の錦絵を始め,浮世絵版画技法上に画期的な貢献をした。すなわち明和2~3年は,春信個人にとっても浮世絵史においても,一大転換期であった。絵暦交換会の場において,錦絵と呼ばれる多色摺木版画の完成をみ,同時に春信個人においては,古典的主題を当世風俗に投影する見立絵の制作を通して自己の画風を確立した。またこの時期に西川祐信の影響を受けたと思われる。以後の春信はその没年まで精力的に作画し,実に 900点前後の錦絵を発表。また従来にない新鮮な技法を駆使して,古典的な抒情や日常生活の心理的機微を,当世風俗や実在のモデルに託してみごとに表現した。彼の描く女性の姿態には妖艶というより清雅な趣がある。春信はこの時期の錦絵の代名詞であり,のちの画家に絶大な影響を与えた。主要作品『風流やつし七小町』『お百度参り』『座敷 (坐舗) 八景』『風俗四季歌仙』『藤原敏行朝臣 (秋風) 』『おせんの茶屋』など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鈴木春信」の解説

鈴木春信
すずきはるのぶ

1725?~70.6.14/15

江戸中期の浮世絵師。本姓穂積,俗称次郎兵衛または次兵衛。西村重長あるいは西川祐信の門人と伝える。鳥居清満や上方浮世絵とくに西川祐信の作風を学んで繊細優美な美人画を描いた。おもな作画期は1760年(宝暦10)から没年までの10年間で,はじめの5年間は紅摺絵(べにずりえ)を描いた。65年(明和2)の絵暦交換会で誕生した多色摺木版画,錦絵の創製に中心的役割をはたした。以後5年間で700点をこえる錦絵を制作。古典和歌を同時代の風俗にみたてた見立絵にすぐれ,当時評判の町娘を描いた作品が流行を作りだした。叙情性豊かな作風で浮世絵界に大きな影響を及ぼした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木春信」の解説

鈴木春信 すずき-はるのぶ

1725-1770 江戸時代中期の浮世絵師。
享保(きょうほう)10年生まれ。江戸の人。明和2年当時流行の絵暦の制作を機に,巨川らの協力をえて錦絵(にしきえ)(多色刷り木版画)を創出。美人風俗画で人気絵師となった。師は西村重長(しげなが)あるいは西川祐信(すけのぶ)。明和7年6月15日死去。46歳。本姓は穂積(ほづみ)。通称は次郎兵衛。号は長栄軒,思古人。作品に「坐鋪(ざしき)八景」「風俗四季哥仙(かせん)」「笠森お仙」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鈴木春信」の解説

鈴木春信
すずきはるのぶ

1725〜70
江戸中期の浮世絵師
江戸の人。従来の紅摺 (べにずり) 絵を改良し,多色摺の錦絵を創始。鋭い色彩感覚と流麗な描線で美人画にすぐれ,その黄金時代を築いた。代表作に『座敷八景』『縁先美人図』など。

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世界大百科事典(旧版)内の鈴木春信の言及

【浮世絵】より

…京都の風俗画家西川祐信の作風が慕われ,その影響が明らかに認められるようになるのも,このころからである。
[中期]
 1765年(明和2)の錦絵の創始は,その発端となった絵暦交換会で中心的な働きをした鈴木春信を,一躍浮世絵界随一の人気絵師に仕立て上げた。春信は,中間色や不透明な具入り(ぐいり)(胡粉を混ぜた)絵具を多用し,安定感のある配色に絶妙の感覚を発揮し,錦絵時代にふさわしい生来の色彩画家であった。…

【江戸時代美術】より


[美術の大衆化]
 同じころ江戸では,師宣にはじまる浮世絵が,墨摺りの手法を《芥子園画伝》の挿図に見るような中国の色刷り手法をヒントに彩色版画の方向へと発展させる。それは手彩色による丹絵(たんえ)から漆絵を経て紅摺(べにずり)絵へと進み,明和年間(1764‐72)鈴木春信によって錦絵が考案された。優美な王朝やまと絵の世界を江戸市民の日常生活の中に見立てた春信の錦絵によって浮世絵版画の芸術性は高まり,江戸浮世絵界は天明から寛政(1781‐1801)にかけて,鳥居清長,喜多川歌麿,東洲斎写楽らを輩出して黄金時代を迎えた。…

【錦絵】より

…浮世絵の多色摺り木版画の総称。1765年(明和2)俳諧を趣味とする江戸の趣味人の間で絵暦の競作が流行,これに参加した浮世絵師鈴木春信(1725‐70)が彫師,摺師と協力して技術を開発,〈吾妻錦絵〉と名づけて商品化した。版木に刻み付けた見当(けんとう)を合わせて,多くの色を正確に摺り分け,錦のように華やかで美しいいろどりが加えられた。…

※「鈴木春信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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