神光寺(読み)じんこうじ

日本歴史地名大系 「神光寺」の解説

神光寺
じんこうじ

[現在地名]有田市星尾

星尾ほしお大谷おおたににあり、天台宗。星尾山と号し、本尊釈迦如来。もと海部あま浜中はまなか(現和歌山県下津町)長保ちようほう寺末。「続風土記」に「当寺は古の星尾寺六坊の其一なり、星尾寺は七堂伽藍の寺なり、栂ノ尾明恵上人経廻の道場に卒堵婆を立つ、此地其一所なり、弘長中保田荘地頭湯浅左衛門尉宗業の建立といふ、天正の兵火に坊舎皆焚滅し唯一宇のみ残れり、六坊の名を中ノ坊・池ノ坊・南ノ坊・西ノ坊・角ノ坊・谷ノ坊といふ、中ノ坊は即当寺なり」とある。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔星尾寺〕

建仁三年(一二〇三)高弁(明恵)は星尾に移って、伯父にあたる保田やすだ荘地頭湯浅宗光の庇護を受け、当地に草庵を営んだが、建長五年(一二五三)三月に書写された明恵上人紀州所々遺跡注文(施無畏寺文書)の「保田星尾」の項には「右当処者、春日大明神降託之地也、上人親舅兵衛尉宗光之旧宅也、彼宗光子息左衛門尉宗成、敬重霊跡、故建立伽藍矣」とある。


神光寺
じんこうじ

[現在地名]関市下有知 観音

下有知しもうち地区北部の白山はくさん山南麓に、白山神社と隣接している。今宮山と号し、高野山真言宗。本尊十一面観音。縁起などによれば、養老三年(七一九)泰澄洲原すはら神社(現美濃市)に次いで寺と白山神社を建立して白山権現を祀り、寺名は観音寺といったという。その後空海の巡錫もあり、観音経一巻が納められたと伝える。永承五年(一〇五〇)東征途中の源頼義・義家父子が霊夢に従い参籠したところ、神光と白雪奇瑞にあい、太刀と御旗を奉納

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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