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神鞭知常 こうむち ともつね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

神鞭知常 こうむち-ともつね

1848-1905 明治時代の官僚,政治家。
嘉永(かえい)元年8月4日生まれ。もと丹後(京都府)宮津藩士。明治6年大蔵省にはいり,19年主税局次長。23年衆議院議員(当選7回,憲政本党)。第2次松方・第1次大隈内閣法制局長官をつとめる。対露強硬論で知られた。明治38年6月21日死去。58歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

神鞭知常

没年:明治38.6.21(1905)
生年:嘉永1.8.4(1848.9.1)
明治期の政治家。丹後(京都府)与謝郡の鞭重蔵の長男。号は謝海。京都の神山塾で漢学を学ぶ。独立して神鞭を姓とす。一時宣教掛を務めたのち,英学を志して上京,何礼之や観学義塾に学ぶ。明治5(1872)年星亨の翻訳作業を手伝ったのが縁となって6年大蔵省出仕。7年内務省出仕となり,商工業視察を命じられ渡米,フィラデルフィア万国博覧会御用掛も務めた。10年帰国して内務省1等属。12年大蔵省商務局1等出仕,少書記官,大書記官と昇進。また農商務書記官を兼任。20年大蔵省主税局次長で非職。この間殖産,貿易関係の企業を興す。23年衆院議員に当選。初めは中立派の大成会に属したが,内地雑居を非として政府の条約改正を批判する対外硬運動を始めた。日清戦後は進歩党に参加し,松方内閣の法制局長官,隈板内閣でも同職を務めた。国民同盟会から対露同志会へと展開する対露強硬運動の積極分子であった。<参考文献>橋本五雄編『謝海言行録』(復刻,1988)

(酒田正敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

こうむちともつね【神鞭知常】

1848‐1905(嘉永1‐明治38)
明治期の官僚,政治家。丹後国与謝郡に生まれる。1870年(明治3)に宮津藩下級役人として上京,そのまま英学修得に専念し,星亨に見いだされて大蔵省に入る。河瀬秀治に誘われて内務省勧業寮に移り,75年にアメリカに派遣され,貿易と商工業事情の調査に従事した。帰国後大蔵省に戻り,87年主税局次長の時解任された。退官後小名木川綿布会社の社長に就任し,また90年の第1回総選挙に京都府から当選した(以後当選7回)。

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世界大百科事典内の神鞭知常の言及

【対露同志会】より

…しかし,ロシア軍の満州からの第2期の撤兵が実行されないことが明らかになると,再び活動を活発化させ,03年4月8日,対外硬同志大会を上野公園梅川楼で開催,さらに戸水寛人ら7博士の対露開戦の主張(七博士建白事件)などが行われるなかで,同年8月9日,対外硬同志会は神田錦旗館で大会を開き,対露同志会と改称した。9月には,会長に病臥中の近衛篤麿を推し,委員長には神鞭(こうむち)知常が就き,頭山満ら7人の相談役をおいた。10月5日,歌舞伎座で全国大会を開き,対露開戦を主張。…

※「神鞭知常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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