日清戦争直前,反政府派が国際協調政策をとる政府の外交を攻撃するために唱えた標語。ロシアの東アジア進出により緊迫した国際情勢に対し,新聞《日本》をはじめとする日本主義派は,自由党,改進党などの民党連合の政費節減・民力休養路線と政府外交を批判した。それは不平等条約によって侵されている国家主権の回復と積極的な対外進出を主張し,対等条約を実現するためには現行条約を励行して外国人を取り締まり,彼らに不利益を与え,対等条約の交渉に列強が応じない場合は条約破棄も辞すべきでないというものであった。第5帝国議会(1893)には神鞭(こうむち)知常,佐々友房らの大日本協会(1893年内地雑居講究会より改組)を中心に,立憲改進党,国民協会などが連合して現行条約励行建議案を提出,イギリスと条約改正交渉をすすめていた政府を追いつめた。対外硬派は,1894年に朝鮮をめぐって日清関係が緊迫すると対アジア強硬論を唱えて日清戦争の開戦論を盛り上げた。対外硬の旗印は,その後も国際関係が緊張したおりに,協調政策をとる政府の外交を軟弱もしくは屈辱外交と非難し,雑多な反政府分子を統合して院外大衆運動を喚起する反政府派によってしばしば掲げられた。北清事変(義和団事件)後の対露同志会やその後身の講和問題同志会,辛亥革命に際しての浪人会の行動がそれである。対外硬は反政府派がナショナリズムで民衆を結集して政府の外交政策を攻撃するための標語である。
執筆者:藤村 道生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
対外的な国権の回復や維持、拡大を強調し、強硬外交を展開すべきであるとする主張。近代日本においてしばしば登場した対外強硬を唱える政治運動を対外硬運動とよぶが、これは野党派の政府批判運動であった。対外硬運動が政府批判運動となる根本的条件は、政府外交が相手国および関係諸国の反応と自己の力量との較量計算を行いつつ展開されなければならないという性格をもっているからである。したがって通常、政府は国益や国家的道義について、たとえ野党派と同じ考えをもっている場合でも、それらの実現のための外交は慎重かつ漸進的に展開せざるをえない。外交上大国の牽制(けんせい)や抑圧を受けやすい後進国や小国において、国益や道義の即時達成を主張する対外硬運動が起こりやすい理由である。
[酒田正敏]
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