室町時代中期の画僧。生没年不詳。字は天章,号は越渓。相国寺の禅僧となり,都管の役につく。画を如拙に習ったらしく,のちに如拙の後を継いで足利幕府の御用画師となる。1423年(応永30)に幕府の使節とともに朝鮮にゆき,このころすでに優れた評価を得ていたと思われる。応永詩画軸の名品や,それに続く室町中期の掛幅には,周文筆を伝称するものがたいへん多いが,真跡はまだ確定されず,高名なわりには謎の多い作家である。伝称作品には,《三益斎図》(静嘉堂),《江天遠意図》(根津美術館),《初秋送人図》(常盤山文庫),《陶道明聴松図》,《水色巒光(らんこう)図》,《蜀山図》(静嘉堂),《竹斎読書図》(東京国立博物館)などのほか,《四季山水図屛風》(前田育徳会ほか)があり,花鳥図屛風もあったと伝える。これら伝称作品を分類・整理することによって,周文は南宋院体画風の余白を生命とする瀟洒(しようしや)な水墨山水を本旨としながら,これに禅僧らしい解釈を加え,高士隠逸の理想と禅の境地とを重ね合わせた独自の画境を確立したものと見られる。詩画軸には書斎図,送迎図,詩意図(詩の意をとって主題とする)等があるが,いずれも五山の有力な禅僧たちとの交友から生まれたものが多い。当時の修禅の傾向から宋学趣味を画に反映した場合,やや観念的な閉鎖的な世界を現すこともある。一方,士大夫文人趣味を濃厚に反映し禅僧としての立場を離れて自由に画作した場合,枯淡で象徴的な独特の表現に至っている。永享年間(1429-41)には仏像彫刻や彩色にも携わっており,また,宮廷・幕府関係の邸宅に障壁画を描いた記録もあり,屛風,襖等の大画面構成においても,ひとつの典型を創造したと見られる。54年(享徳3)ころまでは活動の形跡があり,一説に58年(長禄2)雪舟に奥義を授けたという。63年(寛正4),小栗宗湛が幕府御用画師となる以前に没したか,活動を止めたものと推定される。弟子には雪舟,岳翁蔵丘,墨渓(兵部),文清などがある。なお,来日李朝画家秀文とは別人である。
執筆者:中島 純司
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(山下裕二)
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生没年不詳。室町中期(15世紀前半)の画僧。号は越渓(えっけい)、字(あざな)は天章。京都・相国寺(しょうこくじ)の僧で、同寺の都管(づかん)(寺の運営、経理などをつかさどる役職)として『蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)』にも登場し、文都管とよばれている。確証はないが、同じく相国寺の僧であった如拙(じょせつ)から画(え)を学んだと考えられる。多才で、水墨画のほか着色仏画も描き、さらに彫刻、彩色、袈裟(けさ)縫などを物し、室町幕府の御用絵師として抱えられた。周文のわが国水墨画史への最大の寄与は、この時代に盛行をみた、いわゆる詩画軸の形式を完成させたことで、これは、画面上部の余白に名僧知識たちが、その作品にちなんだ漢詩を著賛したもの。当代に流行した隠逸趣味の反映で、これによって外来の水墨画がわが国の生活様式や感性のなかに本格的に定着していくことになった。古くから周文の筆になると伝えられるものは多いが、なかでも『水色巒光(らんこう)図』(国宝)、『竹斎(ちくさい)読書図』(国宝、東京国立博物館)、『蜀山(しょくさん)図』(東京・静嘉堂(せいかどう)文庫)などが名高い。いずれも枯淡ななかに繊細な詩情を盛り込むことに成功している。なお、弟子には雪舟、墨渓(ぼっけい)、岳翁(がくおう)などがいる。
[榊原 悟]
『松下隆章著『日本美術絵画全集2 如拙/周文』(1981・集英社)』
生没年不詳。室町中期の禅僧画家。道号は天章。俗姓は藤倉氏。相国寺の都管(つかん)(都寺(つうす))の職にあり寺院の財政を担当すると同時に,画家として足利将軍の御用を勤めた。1423年(応永30)朝鮮派遣使節に加わり,同地で山水画を描いた。30年(永享2)には大和国片岡の達磨寺の達磨像に彩色を行い,40年には雲居(うんご)寺の仏像の像容の参考とするため東大寺に赴くなど,広い範囲の事績が知られ,54年(享徳3)頃まで生存したと推定される。15世紀の第2四半期の絵画界の中心的な存在だが,周文自身が描いたと確証のある作品はなく,画風の実態は不明。伝承作品は数多く「江天遠意図」「水色巒光図(すいしょくらんこうず)」「竹斎読書図」などが知られる。没後の将軍家の御用は小栗宗湛にひきつがれ,雪舟(せっしゅう)や墨渓に師と仰がれた。
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…一説に赤浜(総社市)の人で小田氏の出身という。少年期に上京,相国寺に入り,春林周藤に仕え等楊の諱(いみな)をもらい,画事を周文に習った。30歳代まで相国寺で修業,僧位は知客(しか)であったが,この間の作品は伝わらず,一部は周文筆と伝承される掛幅の中に混入している可能性もある。…
※「周文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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