周文(読み)しゅうぶん

百科事典マイペディアの解説

周文【しゅうぶん】

室町時代の禅僧,画家。生没年不詳。字は天章,越渓と号した。初め相国寺に入り,都寺(つうす)として経営手腕を発揮。1423年幕府の使節とともに朝鮮に渡り,のち幕府の御用絵師となって画業に専念した。画は南宋の院体山水画を学んで,日本的山水画の様式を開拓し,水墨山水画,人物画道釈画などを描いた。確実な遺作はないが,伝称作品から推定される繊細で謹厳な筆法は,室町画壇の正系として小栗宗湛に受け継がれ,狩野派の中に発展的に吸収されていったものと考えられる。伝称作品は《三益斎図》《竹斎読書図》《四季山水図屏風》など。
→関連項目岳翁蔵丘虎渓三笑水墨画雪舟禅宗美術曾我蛇足文清明兆

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

周文 しゅうぶん

?-? 室町時代の画僧。
京都相国(しょうこく)寺の禅僧。大巧如拙(だいこう-じょせつ)にまなんだとされ,弟子に雪舟らがいる。幕府の御用絵師をつとめた。詩画軸の主題や形式,屏風(びょうぶ)における山水画に周文様式をつくる。代表作とされるものに文安2年(1445)作の「水色巒光(らんこう)図」,「竹斎読書図」など。字(あざな)は天章。号は越渓。

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朝日日本歴史人物事典の解説

周文

生年:生没年不詳
室町中期の画僧。号は越渓。相国寺で都官(財政方面担当)の職にあった。画を如拙に学び,雪舟の師と伝える。室町幕府より俸禄を受ける御用絵師的な立場にあった。画家として著名であるが,仏像の制作にも携わった。永享2(1430)年,奈良達磨寺の達磨大師像の彩色を担当,永享12年東山雲居寺の阿弥陀三尊,仁王像の造立に関与したほか,同時代史料に記録される事跡は,絵画よりも仏像に関するものが多い。応永30(1423)年,大蔵経請来のために派遣された使節団の一員として朝鮮に渡っており,李朝絵画の影響が論じられている。絵画制作に関する記録は乏しく,永享5年「観音善財童子図」を描いて東福寺の僧愚極礼才の賛を得たこと,永享10年「梅図」襖絵が後崇光院の台覧に供されたことなどが知られるに過ぎない。周文筆という伝承の作品は数多いが,確実な真筆として研究者間で認められているものはない。明治以降,諸研究者によって「周文さがし」が行われてきたが,いまだに定説をみるに至っていない。亀泉集証の『蔭凉軒日録』の寛正4(1463)年3月28日の条に,小栗宗湛が周文と同様の俸禄によって幕府の御用絵師に任ぜられたとあるため,この時期にすでに周文は没していたと推測される。確実な作品が残っていないため,その様式を考察するのは困難であるが,室町前期水墨画壇にあって最も重要な存在であることは確かである。有力な伝承作品に「竹斎読書図」(東京国立博物館蔵),「水色巒光図」(個人蔵),「江天遠意図」(根津美術館蔵),「陶淵明賞菊図」(梅沢記念館蔵),「四季山水図屏風」(前田育徳会蔵),「四季山水図屏風」(東京国立博物館蔵)などがある。<参考文献>渡辺一『東山水墨画の研究』,『日本美術絵画全集』2巻,玉村竹二『五山禅僧伝記集成』

(山下裕二)

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世界大百科事典 第2版の解説

しゅうぶん【周文】

室町時代中期の画僧。生没年不詳。字は天章,号は越渓。相国寺の禅僧となり,都管の役につく。画を如拙に習ったらしく,のちに如拙の後を継いで足利幕府の御用画師となる。1423年(応永30)に幕府の使節とともに朝鮮にゆき,このころすでに優れた評価を得ていたと思われる。応永詩画軸の名品や,それに続く室町中期の掛幅には,周文筆を伝称するものがたいへん多いが,真跡はまだ確定されず,高名なわりには謎の多い作家である。

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大辞林 第三版の解説

しゅうぶん【周文】

室町時代の禅僧・画僧。字あざなは天章、号は越渓。相国寺の僧、のちに室町幕府の御用絵師。漢画様式の水墨画を日本的様式のものに完成。作と伝えられるものに「水色巒光らんこう図」などがある。雪舟はその弟子。生没年未詳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

周文
しゅうぶん

室町時代前期の画僧。経歴は不詳であるが,京都相国寺の僧で都管 (つうかん) となった。号は越渓,字は天章。如拙画法を学んだと推定され,当代一の絵師と評された。足利将軍家の御用絵師となり,応永 30 (1423) 年,朝鮮使随行の絵師となって翌年帰朝。周文筆の伝称をもつ作品は多く,いずれを真作と認めるか問題があるが,文安2 (45) ~3年頃の『水色巒光 (らんこう) 図』 (国宝,藤原家) ,『竹斎読書図』 (国宝,東京国立博物館) は代表作とされることが多い。また観音菩薩,大黒天などの仏画や花鳥,花木,鯉などの障屏画も描いた。彫刻家としても著名で,永享2 (30) 年に片岡達磨寺の達磨像を彩色し,同 12年には雲居寺の『四丈阿弥陀像』を造立したと伝えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

周文
しゅうぶん

生没年不詳。室町中期(15世紀前半)の画僧。号は越渓(えっけい)、字(あざな)は天章。京都・相国寺(しょうこくじ)の僧で、同寺の都管(づかん)(寺の運営、経理などをつかさどる役職)として『蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)』にも登場し、文都管とよばれている。確証はないが、同じく相国寺の僧であった如拙(じょせつ)から画(え)を学んだと考えられる。多才で、水墨画のほか着色仏画も描き、さらに彫刻、彩色、袈裟(けさ)縫などを物し、室町幕府の御用絵師として抱えられた。周文のわが国水墨画史への最大の寄与は、この時代に盛行をみた、いわゆる詩画軸の形式を完成させたことで、これは、画面上部の余白に名僧知識たちが、その作品にちなんだ漢詩を著賛したもの。当代に流行した隠逸趣味の反映で、これによって外来の水墨画がわが国の生活様式や感性のなかに本格的に定着していくことになった。古くから周文の筆になると伝えられるものは多いが、なかでも『水色巒光(らんこう)図』(国宝)、『竹斎(ちくさい)読書図』(国宝、東京国立博物館)、『蜀山(しょくさん)図』(東京・静嘉堂(せいかどう)文庫)などが名高い。いずれも枯淡ななかに繊細な詩情を盛り込むことに成功している。なお、弟子には雪舟、墨渓(ぼっけい)、岳翁(がくおう)などがいる。[榊原 悟]
『松下隆章著『日本美術絵画全集2 如拙/周文』(1981・集英社)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

しゅうぶん シウブン【周文】

[一] 中国古代王朝、周の文王(ぶんおう)のこと。
本朝無題詩(1162‐64頃)一・行幸平等院〈藤原実綱〉「倩思斯処翠華幸、何必周文渭水陽」
[二] 室町中期の画僧。字(あざな)は天章。号は越渓。相国寺都管(つうす)。その事歴は不明のことが多く、将軍家お抱えの絵師で応永三〇年(一四二三)足利義持が朝鮮に派遣した使節に同行したこと、障子絵(襖絵)、花鳥図屏風や、奈良達磨寺の達磨像彩色、京都雲居寺阿彌陀三尊像などの画業や彫刻制作したことなどが知られている。繊細な画風は周文様式として盛行し、その影響下に雪舟、宗湛、岳翁らが輩出した。主な伝称作品に「水色巒光図」「竹斎読書図」などがある。生没年未詳。

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世界大百科事典内の周文の言及

【雪舟】より

…一説に赤浜(総社市)の人で小田氏の出身という。少年期に上京,相国寺に入り,春林周藤に仕え等楊の諱(いみな)をもらい,画事を周文に習った。30歳代まで相国寺で修業,僧位は知客(しか)であったが,この間の作品は伝わらず,一部は周文筆と伝承される掛幅の中に混入している可能性もある。…

※「周文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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