イエズス会司祭。ポルトガルのコインブラに生まれ、1594年イエズス会に入った。1609年(慶長14)マカオより来日し天草、京都にあったが、1614年マカオに追放され、1616年(元和2)再来日した。日本名を長崎五郎右衛門と称し、主として仙台地方で布教に従事し、二度蝦夷(えぞ)(北海道)まで足を運んだ。東北地方の有力キリシタン後藤寿庵(ごとうじゅあん)の領地見分(みわけ)(岩手県奥州(おうしゅう)市)をしばしば訪ねたが、仙台藩の探索が厳しくなり、下嵐江(おろしえ)の銀山に逃れ信者とともに隠れ住んだ。1624年(寛永1)2月に捕らえられ、同月22日仙台広瀬川にて凍死による殉教を遂げた。1867年福者(聖人の次位者の称号)に列せられた。
[宮崎賢太郎 2018年2月16日]
『浦川和三郎著『東北キリシタン史』(1957・日本学術振興会/1968・巌南堂書店)』▽『H・チースリク編、岡本良知訳『北方探検記』(1962・吉川弘文館)』
ポルトガル人のイエズス会士。リスボン出身。1576年イエズス会に入会。98年(慶長3)来日したが再びマカオに戻り,1601-09年までコレジヨの院長を務めた。11年イエズス会日本管区長として再度来日し,17年(元和3)までその任にあった。在任中,禁教強化へと向かう日本社会にあって,悪化する教会財政,他修道会との対立など教会内外の難問処理にあたったが,1614年の大追放のさい,マカオに退去した。15年コーチシナ(交趾支那)のフェフォの日本人町に,ポルトガル人のディオゴ・カルバリョを派遣し,またツーロンにはイタリア人のフランチェスコ・ブゾミを派遣し,イエズス会のコーチシナ布教の基を作った。25年インドに戻り,同地で没した。著作《弁駁書Apologia》(1617)。
執筆者:岸野 久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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