カルバリョ(読み)かるばりよ(その他表記)Diego de Calvalho

精選版 日本国語大辞典 「カルバリョ」の意味・読み・例文・類語

カルバリョ

  1. 〘 名詞 〙 ( Diego de Carvalho ディエゴ=デ━ ) ポルトガルイエズス会士。慶長一四年(一六〇九日本渡来東北地方布教中心として活躍。のち捕えられ、仙台処刑。(一五七七‐一六二四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カルバリョ」の意味・わかりやすい解説

カルバリヨ
かるばりよ
Diego de Calvalho
(1578―1624)

イエズス会司祭。ポルトガルのコインブラに生まれ、1594年イエズス会に入った。1609年(慶長14)マカオより来日天草、京都にあったが、1614年マカオに追放され、1616年(元和2)再来日した。日本名を長崎五郎右衛門と称し、主として仙台地方で布教に従事し、二度蝦夷(えぞ)(北海道)まで足を運んだ。東北地方の有力キリシタン後藤寿庵(ごとうじゅあん)の領地見分(みわけ)(岩手県奥州(おうしゅう)市)をしばしば訪ねたが、仙台藩探索が厳しくなり、下嵐江(おろしえ)の銀山に逃れ信者とともに隠れ住んだ。1624年(寛永1)2月に捕らえられ、同月22日仙台広瀬川にて凍死による殉教を遂げた。1867年福者(聖人の次位者の称号)に列せられた。

[宮崎賢太郎 2018年2月16日]

『浦川和三郎著『東北キリシタン史』(1957・日本学術振興会/1968・巌南堂書店)』『H・チースリク編、岡本良知訳『北方探検記』(1962・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「カルバリョ」の意味・わかりやすい解説

カルバリョ
Valentin Carvalho
生没年:1560-1631

ポルトガル人のイエズス会士。リスボン出身。1576年イエズス会に入会。98年(慶長3)来日したが再びマカオに戻り,1601-09年までコレジヨの院長を務めた。11年イエズス会日本管区長として再度来日し,17年(元和3)までその任にあった。在任中,禁教強化へと向かう日本社会にあって,悪化する教会財政,他修道会との対立など教会内外の難問処理にあたったが,1614年の大追放のさい,マカオに退去した。15年コーチシナ(交趾支那)のフェフォの日本人町に,ポルトガル人のディオゴ・カルバリョを派遣し,またツーロンにはイタリア人のフランチェスコ・ブゾミを派遣し,イエズス会のコーチシナ布教の基を作った。25年インドに戻り,同地で没した。著作《弁駁書Apologia》(1617)。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「カルバリョ」の解説

カルバリヨ Carvalho, Diogo de

1578-1624 ポルトガルの宣教師。
イエズス会士。慶長14年(1609)来日し,天草で布教に従事。キリシタン禁令により国外追放となるが,元和(げんな)2年再来日。後藤寿庵の助力でG.アンジェリスとともに布教にあたり,仙台,蝦夷(えぞ)地(北海道)などを巡回。元和9年仙台藩に捕らえられ,10年1月4日仙台で殉教した。46歳。コインブラ出身。

カルバリヨ Carvalho, Valentin

1558-1631 ポルトガルの宣教師。
イエズス会司祭。慶長3年(1598)バリニャーノらとともに来日。6年マカオにもどり,コレジヨの院長をつとめたのち,14年に再来日。16年第4代日本管区長,19年日本代理司教となるが,徳川家康のキリシタン追放によりマカオにもどり,1631年インドのゴアで死去。73歳。リスボン出身。

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