南都北嶺(読み)なんとほくれい

百科事典マイペディアの解説

南都北嶺【なんとほくれい】

南都は奈良北嶺比叡山延暦寺をさし,最澄が比叡山を開いたことを奈良の仏教教団と対比して呼んだもの。10世紀に入り,諸大寺僧兵中,春日大社神木を擁した興福寺兵と日吉(ひえ)神社神輿(みこし)を奉じた延暦寺の僧兵とが代表的となり,互いに確執を繰り返し,朝廷への強訴(ごうそ)を行った。そのため南都北嶺の称はもっぱら強訴の僧兵をさすこととなった。
→関連項目平清盛

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世界大百科事典 第2版の解説

なんとほくれい【南都北嶺】

南都とは奈良を指すが,とくに興福寺を中心とする南都仏教教団をいい,北嶺は比叡山延暦寺をいう。藤原氏の氏寺である興福寺は,摂関政治以降寺勢が拡大し,東大寺を除く大寺の別当は興福寺僧によって占められ,公卿子弟で入寺するものも漸次増加した。一方9世紀の初頭,最澄が比叡山に天台教団を開創し,大乗戒壇を創設して以後,南都と叡山の確執が繰り返され,10世紀後半より出現した僧兵武力を背景に,興福寺は春日社の神木,延暦寺は日吉社の神輿を奉じて朝廷に強訴(ごうそ)し,あるいは両者が互いに闘争を繰り返すこともしばしばあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南都北嶺
なんとほくれい

中世において大きな社会的勢力をなしていた寺社勢力を指す。南都とは、北に位置する平安京に対する平城京すなわち奈良の都をいうが、とくに、中世になって都市的発展をみせたかつての外京地域に位置する東大寺・興福寺などの寺院やその周辺地域を指していう。ひいては、これらの寺院のなかでもとりわけ強大な力を誇った興福寺を、また同寺およびそれを中核とする寺社勢力を意味した。一方、北嶺は直接には比叡山延暦寺のことであるが、南都北嶺と総称する場合には、園城寺(おんじょうじ)(三井寺)などを含むこともある。すなわち、南都北嶺という語は、平安時代以来、国家的崇敬を受けていたという由緒と正統性を誇り、院政期以降には巨大な実力を兼ね備え、社会的政治的影響力を行使した寺社勢力の総体を表現する場合に用いられている。そのなかで興福寺と延暦寺はそれぞれの中核に位置する代表的な存在であった。

[久野修義]

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精選版 日本国語大辞典の解説

なんと‐ほくれい【南都北嶺】

奈良と比叡山。また、奈良の興福寺と比叡山の延暦寺。
※金刀比羅本保元(1220頃か)中「南都北嶺(ナントホクレイ)の衆徒逆悪に帰し」

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

南都北嶺
なんとほくれい

興福寺と比叡山延暦寺の総称
平安後期に両寺の僧兵が朝廷にしばしば強訴した。鎌倉時代浄土宗をはじめとする新仏教が成立すると,両寺の僧は旧仏教の擁護につとめ,新仏教を弾圧した。新仏教が民衆を救う宗教的実践を重んじたのに対して,南都北嶺の僧は朝廷の保護を得て,仏教の学問的研究を重んじた。

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四字熟語を知る辞典の解説

南都北嶺

奈良と比叡山。また、南都六宗を代表する奈良の興福寺と比叡山の延暦寺。

[使用例] 仏教の大寺は、これより先、政治上においても、また我がにおける一大勢力たり。なかんずく南都北嶺の僧徒のごときは、横暴専恣にしてはばかる所なく[内田銀蔵*日本近世史|1903]

[解説] 「南都」は南方にある都という意味で、京都に対して奈良の都をさします。「北嶺」は比叡山の別称で、高野山南山というのに対していいます。

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