福岡八幡神社(読み)ふくおかはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「福岡八幡神社」の解説

福岡八幡神社
ふくおかはちまんじんじや

[現在地名]丹原町今井 池ヶ脇

今井いまいの南部のいけわきの産業道路沿いの四尾しび(六〇メートル)上にあり、原生林に覆われ、高い石段がある。祭神誉田別尊・玉依姫命ほか。旧郷社。

由緒はつまびらかでないが、上代から鎮祭され、源頼朝も神領を認め、松山藩主はこれを周布郡一の宮として祭費を代官所で賄ったと伝えられる(愛媛県神社誌)。宝永七年(一七一〇)の「周布郡大手鏡」には

<資料は省略されています>

とあり、この紫尾山福岡八幡宮が現福岡八幡神社にあたる。当社所蔵の神楽面には大永二年(一五二二)六月九日の「施主申年梵瑞」の銘がある。また中細形銅剣(県指定有形文化財)が保存されているが、これは本県出土中弥生時代最古の青銅利器である。

福岡八幡神社
ふくおかはちまんじんじや

[現在地名]東広島市高屋町高屋東

入野にゆうの川支流萩原はぎわら川東岸の丘陵鎮座。祭神は応神天皇など三神。旧村社。「芸藩通志」によれば平賀弘保の弟の木原きはら城主保成(一説には弘保とも)が天文年中(一五三二―五五)鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したという。また当社棟札写(平賀家旧記)によると永禄四年(一五六一)九月七日上棟、同二〇日完成したもので、大旦那は平賀広相(弘保の孫)、施主は一族重臣の東村貞通。しかし、天正六年(一五七八)三月の白鳥社祭礼事書(同旧記)には、平賀弘保が郷の白鳥ごうのしらとり社の九月九日の鳥居原御幸神事において、「先御氏神鶴か岡八幡宮亦ハ西四社御神九月八日より福岡へ御幸成らしめ」、九月九日まで神楽などの「御馳走」をしたいと主張、「福岡ニハ御殿・拝殿・宮僧屋・社人屋・御桟敷・賄所賑に御普請」をしたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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