秋月種実 (あきづきたねざね)
生没年:1545-96(天文14-慶長1)
戦国・豊臣期の筑前国の武将。大蔵氏族。同国夜須郡秋月の古処山(こしよざん)城主。種方の次子。幼名黒帽子,のち修理大夫・筑前守。初め毛利氏にくみしたが,1569年(永禄12)大友氏に下る。78年(天正6)筑前大友氏勢力の一掃に成功し,勢力は筑前・筑後一帯に及ぶ。84年島津・竜造寺氏の和平工作に成功し,島津氏の筑前攻略の先導役。87年秀吉の九州統一に名物の肩衝(かたつき)茶入れ〈楢柴(ならしば)〉を献上して赦免される。子種長は日向高鍋城主。
執筆者:森山 恒雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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秋月種実
あきづきたねざね
[生]天文14(1545).筑前,秋月
[没]慶長1(1596).9.26.
安土桃山時代の武将。種方の子。幼名黒帽子,のち筑前守。秋月氏は代々大友氏と戦ったが,弘治3 (1557) 年父種方が大友氏と戦って敗死したのち家督相続,毛利氏と結んで大友氏と対した。天正 14 (86) 年豊臣秀吉の島津征討に際しては,島津氏に味方したが,翌年秀吉にくだった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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秋月種実 あきづき-たねざね
1545-1596 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)14年生まれ。秋月種方の次男。筑前(ちくぜん)(福岡県)古処山(こしょざん)城主。毛利氏,のち島津氏とむすんで大友氏と戦いをくりかえす。天正(てんしょう)15年豊臣秀吉の九州攻めに抵抗。のち開城し,名物の肩衝(かたつき)茶入れ「楢柴(ならしば)」を献上し,ゆるされた。文禄(ぶんろく)5年9月26日死去。52歳。号は宗誾(そうぎん),笑翁。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の秋月種実の言及
【大蔵氏】より
…しかし原田,秋月,三原,田尻,高橋,江上,宝珠山など大蔵を本姓とする諸氏はその後も各地に活躍し,九州中世史に規定的な役割を果たした。中世末,豊臣秀吉の九州出兵に抵抗した[秋月種実]はその最後の人物ということができる。彼らは〈種〉を通字とする。…
※「秋月種実」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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