日本銀行が金融引締め効果を早期に実現することを図るために、主要金融機関の貸出増加額を直接に規制する措置である。窓口指導は1950年代以降、1960~1980年代の金融引締め期において、公定歩合の引上げ(金利政策)と組み合わせて実施され、ほぼ所期の政策効果をあげてきた。窓口指導は1960年代後半には「貸出増加額規制」とよばれたこともあったが、第二次世界大戦後を通じて窓口指導あるいは窓口規制とよばれるほうが多かった。その間、規制方式は、当初の月単位ベースから四半期単位ベースに改められ、対象金融機関も都市銀行から長期信用銀行、信託銀行、地方銀行に拡大された。窓口指導は金融機関に対する直接規制という強力な措置であるが、法律に基づく措置ではなく、日本銀行と取引先金融機関との信頼と協力による道義的説得である。「窓口」指導ということばは、資金需要の旺盛(おうせい)な経済成長期を背景に、長年の取引関係から当事者間で自然発生的に用いられ、世間に広まっていったのである。
ところが、1980年代後半以降、日本の金融の自由化・グローバリゼーションが急速に進展し、内外の長短金融市場が拡大、企業の銀行借入金の比重が低下してきた。金融政策の運営においても、政策効果をあげるには、金融市場の動きに即し金利機能を活用することが重要になった。窓口指導のような直接規制方式は時代の流れにかなう措置ではなくなり、窓口指導はその規制の規模が徐々に縮小ないし弾力化され、1991年(平成3)の引締め解除期には最終的に廃止された。
[石田定夫]
…1882年(明治15)〈日本銀行条例〉によって設立された日本の中央銀行。日銀と略称。本店は東京都中央区に所在。正しくは〈にっぽんぎんこう〉と読む。1942年,ナチス・ドイツ当時のライヒスバンク法を典拠とする〈日本銀行法〉の制定によって全面的に改組された。第2次大戦後,49年の法改正によって政策委員会が設置されるなど若干の手直しを経て,今日に至っている。 1881年,当時の大蔵卿松方正義は,激しいインフレーションを克服するため,その根源である不換紙幣の整理消却を行うこと,正貨兌換(だかん)の銀行券を発行する中央銀行を設立し,通貨価値の安定を図り,円滑な通貨の供給と金融調節に当たらせることが不可欠であると提議した。…
…都市銀行を中心とする主要な民間の銀行・金融機関が民間の企業などに供給する貸出額の過度の増加を防止することを狙いとして,日本銀行がこれら銀行・金融機関の四半期(3ヵ月間)貸出増加額に対し,上限を設定することを通じての信用規制をいう。貸出増加額規制とか窓口指導,貸出増加額規制ともいう。この窓口規制は,第2次大戦直後の1950年代から金融引締政策が行われる都度,日本銀行によって採用されてきたが,73年以降は,マネー・サプライをコントロールするために必要な手段として,金融引締め・緩和のいかんにかかわらず採用されつづけている。…
※「窓口指導」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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