竹書紀年(読み)チクショキネン(英語表記)Zhú shū jì nián

デジタル大辞泉 「竹書紀年」の意味・読み・例文・類語

ちくしょきねん【竹書紀年】

中国史書。14編。281年、汲県(河南省)での襄王の墓から発掘されたもので、竹簡に古体文字で書かれていた。から戦国時代の魏の前半までの事跡を記した編年史といわれる。代に散佚さんいつしたが、代に佚文が集められた。中国古代の貴重な資料

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「竹書紀年」の意味・読み・例文・類語

ちくしょきねん【竹書紀年】

  1. 中国の編年体の史書。一四編。撰者未詳。二八〇年頃、晉の汲郡(河南省)の戦国時代魏の襄王の墓から発見。竹簡に古体文字で書かれた魏の編年史。夏の禹王から襄王二〇年(前二五八)までの記録。秦の焚書以前の古書で中国古代史の重要な資料。元・明代に行なわれた二巻本は偽書

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「竹書紀年」の意味・わかりやすい解説

竹書紀年 (ちくしょきねん)
Zhú shū jì nián

中国,晋代,280年(太康1)前後に,戦国時代の王の墓から出土した汲冢書きゆうちようしよ)の一つで,夏・殷・周から春秋の晋国,戦国の魏国までの史実を列挙した編年史。竹書と呼ばれるのは,もともと竹簡で出土した書物であるからである。夏の啓王が益を殺害したとか,殷の伊尹いいん)が太甲に殺された等の,伝統的な史書にはみえない伝説をとどめる。伝承されてきたテキスト,いわゆる《今本竹書紀年》には後人の手が入っていて信頼性に欠け,それゆえ,唐・宋以前のこの書物の引用文から〈古本〉を復元しようとする作業がいく人かの学者によってなされている。王国維《古本竹書紀年輯校》がそうした成果の一つである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹書紀年」の意味・わかりやすい解説

竹書紀年
ちくしょきねん

中国、戦国時代の魏(ぎ)の書。14篇(へん)。晋(しん)の汲(きゅう)郡(河南省)の人不準(ふじゅん)が279年(咸寧(かんねい)5。また280年〈太康1〉、281年ともいう)に、魏(ぎ)の襄(じょう)王(また安釐(あんり)王ともいう)の古墓を盗掘して得た竹簡(ちっかん)の古書のうちの一つ。晋の武帝に命ぜられて整理研究にあたった束晳(そくせき)、荀勗(じゅんきょく)、和嶠(わきょう)、傅瓚(ふさん)らによって『紀年』14篇と記録されている。内容は、夏(か)から魏の安釐王の20年(前258)に至るまでの事跡を記してあり、他の史書の記載と大略同じであったという。現在伝えられる『竹書紀年』2巻は、黄帝から始まっており、後人によって増改されたもので、出土当時の姿は失われている。

田中 有]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹書紀年」の意味・わかりやすい解説

竹書紀年
ちくしょきねん
Zhu-shu-ji-nian; Chu-shu-chi-nien

中国,先秦時代の歴史書。西晋の咸寧5 (279) 年に河南省汲県の戦国時代の魏国の墓中で発見された。夏,殷,周,晋から戦国魏の襄王または安釐王 (前4~3世紀) にいたるまでの編年体の史書で,竹の札 (竹簡) に書かれていたのでこの名がある。晋人荀勗 (きょく) らにより整理されたが,のちに散逸した。現在は輯本として『古本竹書紀年』と『今本竹書紀年』があるが,『史記』との食違いが目立ち,ともに偽書ではないかといわれる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android