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竹書紀年 ちくしょきねんZhu-shu-ji-nian; Chu-shu-chi-nien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

竹書紀年
ちくしょきねん
Zhu-shu-ji-nian; Chu-shu-chi-nien

中国,先秦時代の歴史書。西晋の咸寧5 (279) 年に河南省汲県の戦国時代の魏国の墓中で発見された。夏,殷,周,晋から戦国魏の襄王または安釐王 (前4~3世紀) にいたるまでの編年体の史書で,竹の札 (竹簡) に書かれていたのでこの名がある。晋人荀勗 (きょく) らにより整理されたが,のちに散逸した。現在は輯本として『古本竹書紀年』と『今本竹書紀年』があるが,『史記』との食違いが目立ち,ともに偽書ではないかといわれる。

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デジタル大辞泉の解説

ちくしょきねん【竹書紀年】

中国の史書。14編。281年、汲県(河南省)で魏(ぎ)の襄王の墓から発掘されたもので、竹簡に古体文字で書かれていた。から戦国時代の魏の前半までの事跡を記した編年史といわれる。代に散佚(さんいつ)したが、代に佚文が集められた。中国古代の貴重な資料。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちくしょきねん【竹書紀年 Zhú shū jì nián】

中国,晋代,280年(太康1)前後に,戦国時代の王の墓から出土した汲冢書(きゆうちようしよ)の一つで,夏・殷・周から春秋の晋国,戦国の魏国までの史実を列挙した編年史。竹書と呼ばれるのは,もともと竹簡で出土した書物であるからである。夏の啓王が益を殺害したとか,殷の伊尹(いいん)が太甲に殺された等の,伝統的な史書にはみえない伝説をとどめる。伝承されてきたテキスト,いわゆる《今本竹書紀年》には後人の手が入っていて信頼性に欠け,それゆえ,唐・宋以前のこの書物の引用文から〈古本〉を復元しようとする作業がいく人かの学者によってなされている。

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大辞林 第三版の解説

ちくしょきねん【竹書紀年】

中国で西晋の頃、汲郡(河南省)の古墓から発見された、戦国時代の魏の編年史。二巻一三編。竹簡に古体文字で書かれる。唐以後に散佚さんいつしたが清になり佚文が集められた。中国古代史研究の基本資料。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竹書紀年
ちくしょきねん

中国、戦国時代の魏(ぎ)の書。14篇(へん)。晋(しん)の汲(きゅう)郡(河南省)の人不準(ふじゅん)が279年(咸寧(かんねい)5。また280年〈太康1〉、281年ともいう)に、魏(ぎ)の襄(じょう)王(また安釐(あんり)王ともいう)の古墓を盗掘して得た竹簡(ちっかん)の古書のうちの一つ。晋の武帝に命ぜられて整理研究にあたった束(そくせき)、荀勗(じゅんきょく)、和(わきょう)、傅(ふさん)らによって『紀年』14篇と記録されている。内容は、夏(か)から魏の安釐王の20年(前258)に至るまでの事跡を記してあり、他の史書の記載と大略同じであったという。現在伝えられる『竹書紀年』2巻は、黄帝から始まっており、後人によって増改されたもので、出土当時の姿は失われている。[田中 有]

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