竹本大和掾(読み)たけもとやまとのじょう

精選版 日本国語大辞典 「竹本大和掾」の意味・読み・例文・類語

たけもと‐やまとのじょう【竹本大和掾】

  1. 義太夫節太夫大坂の人。内匠理太夫の子。延享二年(一七四五受領して二世豊竹上野少掾宝暦元年(一七五一)竹本大和掾を再受領。竹本座総帥として活躍芸風は上品で、その正統的な語り口が、「大和風」として伝えられる。元祿一五~明和三年(一七〇二‐六六

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改訂新版 世界大百科事典 「竹本大和掾」の意味・わかりやすい解説

竹本大和掾 (たけもとやまとのじょう)
生没年:1702-66(元禄15-明和3)

義太夫節の太夫。内匠理(たくみり)太夫の息で,本名近江屋三右衛門。伊藤三輪太夫,豊竹三輪太夫,竹本内匠太夫,豊竹内匠太夫から2世豊竹上野少掾を受領,さらに京都で竹茂都(たけもと)大隅の名で活躍したが,《仮名手本忠臣蔵》の騒動による太夫の東西入替りに際して竹本座へ戻る。1751年(宝暦1)より大和掾藤原宗貫。《重の井子別れ》《神崎揚屋》《袖萩祭文》《狐別れ》など大和風の名曲後世に残した名人。号は有隣軒。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本大和掾」の解説

竹本大和掾 たけもと-やまとのじょう

1702-1766 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
元禄(げんろく)15年生まれ。竹本理太夫の子。義太夫節。豊竹三輪太夫を名のって豊竹座で初舞台,享保(きょうほう)19年竹本内匠太夫(たくみだゆう)と改名。竹本座,江戸の肥前座,京都の宇治座と転々としたが,竹本座にもどり,宝暦元年大和掾となった。語り口は「大和風」としてつたわる。明和3年11月8日死去。65歳。大坂出身。幼名は勝次郎。号は有隣軒。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹本大和掾」の意味・わかりやすい解説

竹本大和掾
たけもとやまとのじょう

[生]元禄15(1702)
[没]明和3(1766)
江戸時代中期の義太夫節の太夫。内匠理太夫の息子。初舞台は豊竹座。延享2 (1745) 年受領して豊竹上野少掾。同4年京都で竹茂都大隅と改め寛延1 (48) 年忠臣蔵事件で竹本座に迎えられ紋下 (総座頭) となり,竹本大隅掾,のち竹本大和掾。語り口は義太夫節の根本的なものの一つとして,大和風といわれ,いまも伝わっている。

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