算所村(読み)さんじよむら

日本歴史地名大系 「算所村」の解説

算所村
さんじよむら

[現在地名]加悦町字算所

加悦町かやまちの北に位置し、北は三河内みごち(現野田川町)に接する。村内を加悦街道が通る。

慶長検地郷村帳に高四〇三・一五石「算所村」とみえるが、延宝九年(一六八一)の延高で四九五石余となった(天和元年宮津領村高帳)宮津藩領。永代雑記(算所区有文書)に「当算所村は粗平坦と雖も地味悪敷、往昔より困窮村にて、承応三甲午年てうさんいたし、村中人民不残立除き申候」と記される。

享和三年(一八〇三)御領分縮緬屋御鑑札御改帳(「丹後加悦町誌」所引)は機数四八とするが、西原直弥家蔵文書では同年六五機、文政元年(一八一八)六九機、同一〇年六九機ほかに二四機、明治二一年(一八八八)に立機一〇〇機となっている。


算所村
さんじよむら

[現在地名]嬉野町算所

三渡みわたり川の中流北辺の台地上に位置し、村の西北にあたる。西方しもしよう村の枝郷上野うえのがある。周辺には溜池が多い。古代は須可すか郷に属したと考えられ、奈良時代の古瓦を出土する算所廃寺跡(嬉野廃寺跡)がある。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に田畑屋敷合せて二三町六反九畝一九歩、分米二八六・二石、うち田一九六・五八二石とあり、小物成として茶二斤がある。元和五年(一六一九)和歌山藩松坂領となり、下ノ庄組に属した。小名に出屋敷でやしきがある(五鈴遺響)。紀州勢州和州御領分御高并村名帳(南紀徳川史)によれば新田一二・九七九石。


算所村
さんじよむら

[現在地名]豊後高田市新栄しんえい 算所

志手して村の北東、石部いしべ川上流の台地上に位置する。江戸時代の領主の変遷は高田たかだ村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高一二三石余、家数二二(うち百姓八・山伏一、うらや・にわや・牛や一三)・人数五四(うち百姓八・名子三)、牛六・馬二。正保郷帳では来縄くなわ郷に属し、田方六五石余・畑方二六石余、日損所で新田がある。安永三年(一七七四)の島原藩領郷村帳(島原半島史)では高九四石余、ほかに同所新田一斗余がある。算所御前座は毎年正月、肥前島原藩主の御前で初興行を行うのが習わしで、役者たちは七匹の駄馬に荷物を積み、まず柿坂かきさか(現耶馬渓町)で一泊、日田に出て川舟で筑後川を下った。


算所村
さんじよむら

[現在地名]兵庫区兵庫町二丁目

長沢ながさわ町の北東、外輪堤で画された兵庫津の内にある岡方に所属する村で、地方一八町の一。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に村名がみえ、屋敷地二四筆。元禄九年(一六九六)の兵庫津絵図井家蔵)には外輪堤に兵庫津の出入口が記入され、堤外に出るとすぐに長沢口からの丹生山田たんじようやまだ道に合流していた。明和七年(一七七〇)村内で定芝居一軒の株が許可され(天明八年「兵庫津地方地子方石高町数等覚書」神戸市史)、明治二年(一八六九)の兵庫津絵図(神戸市史)には村の中程に芝居小屋が記されている。


算所村
さんじよむら

[現在地名]鈴鹿市算所町・算所一―五丁目

弓削岡田ゆうげおかだ村の南方、低位段丘上の村である。古代・中世の散所との関連をうかがわせる村名であるが、それを裏付けるような伝承文献もない。関ヶ原戦直後は幕府領で、寛永一三年(一六三六)以降亀山藩領となる。延宝四年(一六七六)戸数二九(うち本役九・無役二〇)、人数一二七、馬七、牛四。享保一五年(一七三〇)戸数四五、人数二二二、馬一〇、牛二(亀山御領分雑記)。文久元年(一八六一)当村庄屋菅瀬又兵衛は、亀山藩主石川総禄の命により、付近林野を開墾して、美濃国より得た良品種の茶種を栽培、当地方は茶の特産地となった(鈴鹿郡野史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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