日本大百科全書(ニッポニカ) 「粘土板」の意味・わかりやすい解説
粘土板
ねんどばん
clay tablet
古代メソポタミアおよびその周辺地帯において主として楔形(くさびがた)文字を記すために用いられた書字材料。粘土書板ともよばれる。最古の楔形文字の遺物はメソポタミアの古都ウルクで発見されたウルク文書(前2850ころ)のものとされるが、粘土板はそれ以前から、楔形文字の前身である絵文字を記したり、印刻して用いられていた。楔形文字はシュメール人により体系的に使われるようになり、バビロニア人・アッシリア人(アッカド語)、ウラルトゥ人(ウラルトゥ語)、ヒッタイト人(ヒッタイト語ほか数語)、フルリ人(フルリ語)、古代シリア人(ウガリト語、エブラ語)、エラム人(古エラム語)、古代ペルシア人(アケメネス朝古代ペルシア語、新エラム語)などによって用いられた。またエジプトにまで運ばれ(アマルナ文書)、さらに地中海のクレタ文化、ミケーネ文化にも影響を及ぼし、線文字B文書(古ギリシア語)などの作成にも使われている。このように使用範囲・使用言語が多様であるばかりでなく、西暦1~2世紀に廃用になるまで前後3000年以上にわたって用いられた。今日発見されている粘土板だけでも40万枚に上るといわれ、まだ多くが発見される可能性がある。
粘土板は、メソポタミアに豊富にある良質の粘土を水中に沈殿させ、湿り気のあるものを、多くは手のひらにのるくらいの大きさに固めて、金属や葦(あし)の茎の書字道具を押し付けることにより文字図形を記した。それらは日干しにしてから多くは火で焼いているので半永久的な耐久性をもっている。内部に別の粘土板を入れた封筒式のものや、法令などを記した特別に大型のものもみいだされる。これらは各地の主要都市の文書庫で熟練した書記によりつくられ、分類され、籠(かご)に入れたり棚に並べて保管された。ニップール、ニネベ、エブラなどの文書庫からはいずれも数万枚の粘土板が発見され、古代研究に寄与している。
[矢島文夫]
『E・キエラ著、板倉勝正訳『粘土に書かれた歴史』(岩波新書)』▽『杉勇著『楔形文字入門』(中公新書)』