粟津潔(読み)あわづきよし

百科事典マイペディア 「粟津潔」の意味・わかりやすい解説

粟津潔【あわづきよし】

グラフィックデザイナーイラストレーターアーティスト。東京生れ。その活動はポスターデザインや装幀などにとどまらず,映画美術,舞台美術,環境デザイン,パフォーマンスなど多岐にわたる。独学絵画・デザインを学び,1955年ポスター《海を返せ》で日宣美賞を受賞。1967年には大阪万博(1970年開催)のEXPOランドの計画設計を行う。1969年篠田正浩の映画《心中天網島》,天井桟敷演劇《犬神》の美術を担当。1960年代末から1970年代初頭,特に映画・演劇のポスターなどの分野で,生々しい色彩と肉感的タッチ,大胆な引用による民俗的・土俗的イメージのグラフィック作品を次々と発表し,世界的にも高く評価された。1975年寺山修司の映画《田園に死す》の美術監督を担当。1985年には科学万博つくば'85の〈政府館〉のプロデューサーを務めた。
→関連項目日本宣伝美術協会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粟津潔」の解説

粟津潔 あわづ-きよし

1929-2009 昭和後期-平成時代のグラフィックデザイナー
昭和4年2月19日生まれ。昭和30年ポスター「海を返せ」で日本宣伝美術会賞。44年粟津デザイン研究室(現粟津デザイン室)設立。同年「心中天網島」で伊藤喜朔賞。50年「世界で最も美しい本の展覧会グランプリ。52年サンパウロ-ビエンナーレで「グラフィズム(印刷主義)」を発表,注目される。55年には「夜叉ヶ池」で日本アカデミー賞最優秀美術賞。平成12年印刷博物館初代館長。建築,舞台・映画美術,出版,イラストレーションなど幅ひろく国際的に活躍。平成21年4月28日死去。80歳。東京出身。法大中退。著作に「粟津潔造型思考ノート」「ガウディ讃歌」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「粟津潔」の意味・わかりやすい解説

粟津潔
あわづきよし

[生]1929.2.19. 東京
[没]2009.4.28. 神奈川,川崎
グラフィック・デザイナー。法政大学産業経営科中退。1955年『海を返せ』のポスターで第5回日本宣伝美術会賞を受賞し,社会派デザイナーとしての活躍が始まった。1964年武蔵野美術大学助教授。1967年日本万国博覧会(大阪万博)の遊園地基本構想に参加し,その頃から指紋をデザインのなかに多用,また国際的造形作家として幅広く活動した。著書に『造形思考ノート』などがある。

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