糸賀一雄(読み)いとがかずお

改訂新版 世界大百科事典 「糸賀一雄」の意味・わかりやすい解説

糸賀一雄 (いとがかずお)
生没年:1914-68(大正3-昭和43)

発達保障〉の理念に基づく障害者福祉・教育の首唱者。第2次大戦後の日本の社会福祉・障害者教育の発展に先駆的役割を果たした。鳥取市に生まれ,松江高校時代にキリスト教入信。京都大学で宗教哲学専攻。1939年から滋賀県庁に勤務,行政家として活躍。46年,大津市に戦災孤児浮浪児精神遅滞児の収容施設近江学園創設園長となる。以後,54歳で急逝するまで,(1)教育・保護・生産・医療・研究等の諸機能をもつ総合的施設づくりによる発達の総合的追究,(2)園内教育の学校教育法による公教育としての位置づけ,(3)関連成人施設(信楽寮ほか)や重症心身障害児療育施設(びわこ学園)の創出による社会福祉施設体系の開拓,(4)地域の保健・医療機関と提携しての乳幼児健診活動の推進などに力を尽くす。全日本精神薄弱者育成会理事,中央児童福祉審議会委員等を歴任。その〈この子らを世の光に〉の主張には,糸賀の深い人生観と福祉の思想が凝縮している。《糸賀一雄著作集》全3巻(1982-83)がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「糸賀一雄」の意味・わかりやすい解説

糸賀一雄
いとがかずお
(1914―1968)

知的障害児教育の実践家。鳥取市に生まれる。京都帝国大学文学部哲学科卒業。滋賀県庁に勤める。1946年(昭和21)県立近江(おうみ)学園を設立、1963年にはびわ湖学園の創設に努力、知的障害児の福祉と教育に指導的、開拓者的役割を果たした。きわめてユニークな心身障害児への養護、教育観をもち、「この子らを世の光に」という訴えは、障害児を中心に据える教育観として、またその宗教思想と福祉についての深い造詣(ぞうけい)とあわせて、強い影響力をもった。『福祉の思想』『この子らを世の光に』などの著作があり、著作集も刊行されている。1963年朝日賞受賞。

[小倉襄二]

『『福祉の思想』(1968・NHK出版)』『『糸賀一雄著作集』(1982、1983・NHK出版)』『『この子らを世の光に』(1990・柏樹社/復刊・2003・NHK出版)』

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百科事典マイペディア 「糸賀一雄」の意味・わかりやすい解説

糸賀一雄【いとがかずお】

第2次世界大戦後の障害者教育,福祉の先駆者。鳥取県出身。クリスチャンで,京都大学文学部哲学科卒。戦前は滋賀県庁勤務。1946年大津市に戦災孤児・浮浪児および精神遅滞児を収容する近江学園,1963年重症心身障害児療育施設のびわこ学園を創設。医療,教育,生産,研究などの機能を備えた総合的施設による発達の追求など,実践に基礎を置いた研究と思想により,障害者の教育と福祉に尽力した。全日本精神薄弱者育成会理事,中央児童福祉審議会委員など。著書は《この子らを世の光に》を含む《糸賀一雄著作集》3巻。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「糸賀一雄」の解説

糸賀一雄 いとが-かずお

1914-1968 昭和時代の社会福祉家。
大正3年3月29日生まれ。滋賀県の厚生課長などをつとめる。昭和21年田村一二らの協力をえて,戦災孤児と知的障害児のための近江(おうみ)学園を創設,他県に先がけて公的教育をおこなう。のち重度心身障害児のためのびわこ学園なども開設。「この子らを世の光に」の主張と実践は,戦後の障害者教育の指針となった。昭和43年9月18日死去。54歳。鳥取県出身。京都帝大卒。著作に「福祉の思想」など。

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