羽地間切(読み)はにじまぎり

日本歴史地名大系 「羽地間切」の解説

羽地間切
はにじまぎり

現在の名護市北部に位置した間切。国頭方に属する。東は大宜味いぎみ間切・久志くし間切、南は久志間切、西は名護なぐ間切、北西今帰仁なちじん間切に接し、北の羽地はねじ内海を挟んだ屋我地やがじ島も含む。首里から羽地間切番所のある田井等てーや村まで一六里二〇町余(里積記)。「琉球国由来記」「球陽」などには羽地郡・羽地県ともみえる。「おもろさうし」にみえる羽地間切関係地名として、「ゑさしか(伊差川)」、「かふすか(我部祖河)」、「いけくすく(池城)」、「かわかみ(川上)」、「きんか(源河)」、「せむらい(済井出)」、「きちり(伊差川に小字喜知留原がある)」などがみえる。同書巻一七の六に「一 なこさかい おやさかい きよもの(名護境 御境 来たもの)/おやちやうあけて(御門開けて)/わんいれゝ(我入れよ)/又 おきてにしや ものいにしや きよもの(掟様 物言い様 来たもの)/又 まはねしの たれしけち きよもの(真羽地〔羽地の美称〕の作り酒が来たもの)/又 あわ やふのせにたまり きよもの(安和 屋部のぜにたまり〔神酒〕来たもの)」とある。名護間切と羽地間切の各地の酒が寄せられており、豊穣を予祝したものである。「はにじ」「はねじ」という地名の意味については、琉球各地の事例をもとに走水・走川とする説(沖縄地名考)伊波普猷による赤土粘土のハニ(埴)による説がある。

〔所属村の変遷〕

絵図郷村帳によると、羽地間切所属の村は現名護市域の屋賀島(屋我村)・こがち村(古我知村)・がぶそか村(我部祖河村)・いさしきや村(伊差川村)川上はーみ村、こくてん村(谷田村)平良てーや(田井等村)・なかう村(仲尾村)中城村(仲尾次村)・まぎや村(真喜屋村)・げんか村(源河村)・せす村(瀬洲村)、現大宜味おおぎみ村域のへなん村(平南村)・つは村(津波村)の一島・一三ヵ村であった。康熙一二年(一六七三)田港たんな間切(のち大宜味間切に改称)創設の際、羽地間切の二村が割かれたが(「球陽」尚貞王五年条)、「琉球国由来記」では源河ぎんか瀬洲しー真喜屋まぎやー仲尾次なこーし川上谷田ほーどう田井等・仲尾なこー伊差川いじやしちや我部祖河がぶしか古我知ふがち振慶名ぶりきな呉我ぐがー我部がぶ松田まつだ饒平名ゆぴな屋我やが済井出すむでいの一八ヵ村となっている。乾隆元年(一七三六)三司官蔡温らは各地の山林を巡見した結果、羽地間切の呉我・桃原とーばる・我部・松田・振慶名の五村は山林内に集まって住み、狭い農地で焼畑をしているとして五村を山林の外に移動させ、山林地は今帰仁なちじん間切所属とした(「球陽」尚敬王二四年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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