妊婦の飲酒により引き起こされる中枢神経系の異常を中核とする胎児の障害で、FASと略称される。〔1〕出生前および出生後の成長遅滞(体重、身長および頭囲が10パーセンタイルより下。あるいはそのどちらかが認められる)、〔2〕中枢神経系の障害、〔3〕特有な顔面の形成不全、の3項目が存在するものをいう。なお、パーセンタイルとは、データを大きさの順に並べ、100分の1ずつに分ける値で、10パーセンタイルとは小さいほうから10番目の値である。3項目がそろわないものは胎児性アルコール効果fetal alcohol effects(FAEと略称)という。このうち〔3〕は、(1)小頭(頭囲が3パーセンタイルより下)、(2)小眼球裂、短眼瞼裂(たんがんけんれつ)の両方、あるいはどちらかが認められるもの、(3)人中(鼻と上唇の間にある縦の溝)形成不全、薄い上口唇および平坦(へいたん)な上顎(じょうがく)部の3徴候のうち、少なくとも2徴候を有するものとされている。ただ、FAEでは軽度の形態異常を中心としたものがほとんどで、全身の器官に認められるとされている。FASの80%以上にみられるものには、軽度~中等度の知能障害、小頭症、乳児期の興奮性、身長・体重ともに-2SD標準偏差以下、短い眼瞼裂、人中の低形成、薄い上口唇、乳児期の下顎後退、79~50%にみられるものには協同運動障害、緊張性低下、小児期の多動性、不つり合いな脂肪組織の減少、短く上を向いた鼻、上顎低形成、思春期の小顎ないし相対的な上顎前突、50~26%にみられるものには病的心雑音、一般に心房中隔欠損症(ASD)、陰唇低形成、皮膚血管腫、異常手掌紋(しゅしょうもん)、漏斗胸(ろうときょう)、眼瞼下垂、斜視、内眼角贅皮(ないがんかくぜいひ)、耳の後方への転位、口蓋(こうがい)側縁の隆起、25%以下にみられるものには心室中隔欠損症(VSD)、大血管異常、ファロー四徴症、尿道下裂、腎の位置異常、水腎症、乳児期の多毛、関節運動制限(手指、肘(ひじ))、橈尺骨癒合(とうしゃくこつゆごう)、第5指爪(しそう)低形成、鳩胸(はとむね)、二分剣状突起、脊椎(せきつい)側弯、クリッペル・ファイルKlippel-Feil奇形、横隔膜・臍(さい)・鼠径(そけい)ヘルニア、腹直筋離開、弱視、軽度小眼球症、眼裂縮小、耳甲介形成不全、立ち耳、口蓋裂、口唇裂、エナメル質形成不全の小歯などが知られている。旧約聖書にも、身ごもったらブドウ酒や濃いお酒を飲んではならないという一節があるように、妊婦の飲酒は胎児に影響がある事が知られていた。1968年、ルモワンLemoineらが最初に学術論文として報告し、73年、アメリカの小児科医ジョーンズJonesとスミスSmithがFASと命名した。日本では1978年(昭和53)に小児科医の高島敬忠(ひろただ)によって初めて報告された。
国立精神神経センター神経研究所疾病研究部第2部の前室長、田中晴美らによれば成長遅滞は軽く、顔面の異常はよく観察しなければ見逃しやすく、中枢神経系の障害では多動、言語発達の遅滞した軽度の知能障害が多い。行動異常を伴った知的障害は長期にわたって現れてくる可能性があり、FAEも含めた診断のためには、出生時から学齢期にわたる追跡検討が必要とされている。IQ70~85%の軽度の障害は学童期に改善される可能性はある。
アメリカ疾病対策センター(CDC)の調査では、アメリカでは地域により異なり、1万人の出生につき、2人~15人のFAS児が生まれている。田中によると日本における母親の飲酒と関連した異常児数はFASとFAEを合わせて出生1万~2万に1人と推定されている。
FASの原因物質としてはエタノールそのもの、一部には代謝産物のアセトアルデヒドの関与が考えられ、胎芽(たいが)・胎児細胞におけるタンパク合成障害が発生することが証明されている。実験的にエタノール投与胎仔(たいし)において遺伝子発現の調製に重要なDNAのメチル化の低下が証明されている。また妊娠ラットにアルコール投与した実験から、発育に見かけ上異常がなくても脳の機能に関係するミエリン(神経細胞の軸索をつつむ層状の髄鞘(ずいしょう)の構成成分)の特異酵素であるCNP酵素活性が低下することも報告されている。1998年にザックマンZachmanらがビタミン仮説を報告している。ビタミンAから、ADH(アルコール脱水素酵素)、ALDH(アルデヒド脱水素酵素)の関与によりレチン酸が産生される。レチン酸は核酸タンパクと結合し特定の遺伝子発現に関与するが、アルコール過剰摂取によりアルコール自体の代謝のためにADH、ALDHが使われて、レチン酸生成が減少する。この減少が胎児の中枢神経発達不全に関与することが示唆されている。アルコール中毒症の妊婦の血漿(けっしょう)亜鉛値と臍帯血(さいたいけつ)の亜鉛値の濃度は低く、この低亜鉛状態と胎児の形態異常との関連性も報告されている。アルコール飲用にともなう臍帯血管攣縮(れんしゅく)による胎児の低酸素が起こるとの報告もある。FAS児を分娩(ぶんべん)した妊婦は妊娠中の視床下部下垂体ホルモン異常、高プロラクチン血症、低エストラジオール、低プロゲステロン、低プロスタグランジンF生合成の報告がある。妊娠期間のきわめて初期の飲酒でも胎児に影響をあたえ、器官形成期における相当量の飲酒は形態異常発現に、妊娠第3三半期では神経毒性が関連する。1回のみの大量飲酒によっても胎児に異常がみられるとの報告があるが、実際に問題となるのは、おもにアルコール依存症の場合である。妊娠中の飲酒量が多いほど高率に発症することが知られている。大量飲酒妊婦が妊娠第3三半期以前に中等度以下に減量あるいは中止した場合、出生時の体重、身長、頭囲は増加させたが、第3三半期に以前に起因している形態異常は減少させえない。
妊娠中にどの程度のアルコール飲料を摂取したらFASになるかに関しては様々な意見がある。カミンスキーKaminsukiは純アルコール1日平均1.6オンス(約50ミリリットル)相当を摂取した場合と報告しており、ケレットQuelletteらは純アルコール1日1.5オンス(約45ミリリットル)相当と述べている。田中は60ミリリットルで異常が生じるとしている。妊娠中の飲酒についてはこの程度まで胎児に安全という報告はほとんどどない。アルコール50ミリリットルをアルコール飲料に換算するとビール約1200ミリリットル、清酒320ミリリットル、ウィスキー約125ミリリットルである。母親のアルコール分解能に個人差があり、これより少量でも影響のある可能性はある。ちなみにアメリカの医師会は1984年に妊婦のアルコール飲料摂取に関する警告パンフレットを作成し、妊娠中1日335ミリリットル入りビール6本、または88.5~147.5ミリリットル入りのグラスで6杯のワインを飲むと死産率、流産率が増加する危険性を知らせている。形態異常そのものに対する治療法はない。予防法は妊娠中には飲酒しないこと。妊娠と気づいたら、ただちに飲酒を中止することが重要である。アメリカ小児科学会は、妊娠中あるいは妊娠しようとしている女性に対して、アルコールを断つことを勧告している。
[恩田威一]
『塚原正人著『胎児性アルコール症候群の4例 母のアルコール飲用と児の心疾患』(1986・文部省科学研究費補助金研究成果報告書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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