興世書主(読み)おきよのふみぬし

朝日日本歴史人物事典 「興世書主」の解説

興世書主

没年嘉祥3.11.6(850.12.12)
生年宝亀9(778)
平安前期の官人。吉田古麻呂の子。百済系渡来氏族で,祖父,父共に侍医であったが,書主は早くから嵯峨天皇に寵愛されて左衛門大尉,左近衛将監などを歴任した。儒学に精通する一方,泳ぎや武芸にも秀でていたことから,武官に抜擢されたのであろう。和琴の名手としても知られ,新羅人沙良真熊から新羅琴を秘伝されている。和泉守,備前守としても名声を得た。承和4(837)年興世朝臣の姓を賜る。嘉祥3(850)年治部大輔となったが,山林に隠棲し仏道に専念,多感な生涯を送った。

(瀧浪貞子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「興世書主」の解説

興世書主 おきよの-ふみぬし

778-850 平安時代前期の官吏
宝亀(ほうき)9年生まれ。吉田古麻呂(きちたの-こまろ)の子。大和(奈良県)の百済(くだら)(朝鮮)系の医家に生まれる。嵯峨(さが)天皇の信頼をうけ,検非違使(けびいし),備前守(かみ)などを歴任し,承和(じょうわ)4年興世朝臣(あそん)の氏姓をあたえられた。のち木工頭(もくのかみ),治部大輔(じぶのたいふ)などをつとめた。琴の名手でもあった。嘉祥(かしょう)3年11月6日死去。73歳。

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世界大百科事典(旧版)内の興世書主の言及

【大歌所】より

雅楽寮の歌師・歌人・歌女の〈歌〉には,立歌(たちうた)と大歌の別があり,大歌とは古代宮廷の祭祀や節会に用いられた歌謡をいい,舞を伴うものもあった。成立年時は不明であり,《万葉集》巻六所収の736年(天平8)の和歌の詞書に見える〈歌儛所〉がその前身と考えられるが,《文徳実録》嘉祥3年(850)11月己卯条の興世書主の伝に,書主は和琴をよくしたので,816年(弘仁7)に大歌所別当になった,とあるのが大歌所の初見である。別当は所の統轄者で,書主は補任当時,六位であったというから,六位(地下)別当で,その上に公卿(中納言以上)別当がおり,時に親王別当もあったという。…

【雅楽】より

…759年(天平宝字3)1月には〈内教坊の踏歌〉〈内裏の女楽〉が行われた(《続日本紀》)。9世紀に入って,右近衛将監であった興世書主(おきよのふみぬし)は和琴にすぐれており,816年(弘仁7)大歌所別当に任ぜられた(《日本文徳天皇実録》嘉祥3年(850)11月6日条の卒伝)。〈常に節会に供奉す〉とある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」