日本大百科全書(ニッポニカ) 「芸術論覚え書」の意味・わかりやすい解説
芸術論覚え書
げいじゅつろんおぼえがき
詩人中原中也の特質的な芸術論で、箇条項目を集成した形態の遺稿。
芸術が生活の領域(生活圏域)と対置的であること、また、それが、名付け以前、概念以前の領域からの困難な表出の作業であることの自覚とその重要性を、「「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じている手、その手が深く感じられてゐればよい。」(第一項)以下33項目の記述によって、アフォリズムふうに説き記している。たとえば、「芸術を衰退させるものは、固定観念である。云つてみれば人が皆芸術家にならなかつたといふことは大概の人は何等かの固定観念を生の当初に持つたからである。」(第六項)、「芸術といふのは名辞以前の世界の作業で、生活とは諸名辞間の交渉である。」(第十二項)、「技巧論といふものは殆んど不可能である。」(第十四項)、「何故我が国に批評精神は発達しないか。――名辞以後の世界が名辞以前の世界より甚だしく多いからである。」(第二十三項)など。
その記述の実質、また記述時期の明確な他の評論的な作品資料のレベルから推測して、おおよそ20歳前後のころから第一詩集『山羊(やぎ)の歌』刊行直後の時期周辺までの比較的長い期間にわたる思索、哲学的な読書体験の集大成とみられるが、さらに、おりにふれて書き継がれる可能性のあったことも考えられる、400字詰めの原稿紙24枚にわたる原稿で、生前の公刊はなかった。
研究史上、これまで、「ことばによって命名される以前の世界が名辞以前だというなら、中也の目ざした芸術は、ことばのない世界にならざるを得ない。それは、結局、詩自体の不可能性を立証するほかないはずである。」などといったレベルの発言が支配的であり、またそれによってこの遺稿の存在意義が等閑に付されてきた観があるものの、本来、中也の詩作品の受容のために、きわめて重要な位置を占める理論的背景をなすとみられる。今後、そうした思索の形成過程、また他の芸術論的思索との影響関係などについての考察が求められる。
なお、中也の未刊行の評論ふうの原稿に「宮沢賢治の世界」があり、そのなかに、「宮沢賢治が、もし芸術論を書いたとしたら、述べたでもあらうところのこと」として、この芸術論の第一~第六項の内容が引用されている。中也が賢治の芸術的内質に同一性を感じ取っていた表れとして留意される。
[岡崎和夫]