翻訳|identity
あるものがあるものとして存立しあるいは同定identifyされるとき,そのものは同一性をもつという。同一性は,したがって,一面,あるものがあるものと異なったものでないことをいうものとして,差異differenceないし差異性と対立し,他面,あるものがあるものと異なったものになることがないことをいうものとして,変化と対立する。ここで,同一性-差異,同一性(恒常性)-変化という2組の対立概念は,いずれも,一方を欠いては他方の規定が困難になるような種類のものである。このことからして,哲学の歴史の上で,この対立概念のどちらに重点を置いて考えるか,あるいはまた対立する2項の関係をどう考えるかという問題をめぐって,鶏が先か卵が先かというのにも似た,諸立場の錯綜した対立と展開が見られることになる。
何事かについて考える場合,そもそも,そのこと,ないし,ものが一定のものとして根本に置かれていなければ考えそのものが混乱におちいって成立しなくなる。このような観点から,同一性を真なる思考の成立のために欠くことのできない形式的条件とし,矛盾律とならぶ論理学の根本規則としての同一律によって要請される特性とする見方がアリストテレス以来一貫して存在している。アリストテレスその人においては,彼が矛盾律を時間的条件や広い意味での文脈に関係づけて定義していることからも明らかなように,同一律,矛盾律は,真なる思考のための形式的規則であると同時に,実在の構造そのものにもかかわるものと考えられていた。しかし近代以降においては,それらの規則を,思考の実質となんらかかわることなく真なる思考の成立のための純粋に形式的な条件を示す分析的命題ないしトートロジー(恒真命題)として位置づけて,このかぎりではより徹底した考えが,論理学・数学の形式的整備にともなって,有力なものとして行われている。
アリストテレスが,矛盾律の定義にあたって,時間的条件とまた空間を含めた広い意味での場所(トポス)の条件を付け加えたことは,反面からいえば,いわば変化と差異ないし差別相によってみたされたわれわれの住む世界においては,こうした条件をぬきにした端的な同一性や同一律は成り立たないことを考慮してのことにほかならなかったとも考えられる。事実すでにソクラテス以前の古代ギリシア哲学者たちにおいて,パルメニデスは,〈あるものはあり,ないものはない〉という同一性の論理の立場を徹底して貫き,弟子のゼノンはこれを受けて,現実世界の生成変化や多様性の一切を論理的にありえぬものとみなす有名な一連の〈ゼノンのパラドックス〉を提示し,一方,ヘラクレイトスは,一切を流れてやまぬものとみなす見解を示していた。彼らにあって,同一性や生成変化ないし差異をどう考えるかということは,たんなる思考の規則や,あるいはわれわれの住む世界内の個々の事象についての探究である以前に,なによりもこの宇宙の根源そのものにかかわる存在論的問題の次元が考えられていたのである。同一性と変化ないし差異をめぐる問題は,こうして古くから,そのうちに,宇宙の根源,絶対者といったものをめぐる思考という位相と,われわれが住む世界内で出会う事象とそれをめぐる思考にかかわるかぎりでの位相,さらにときにはこの二つの位相相互の関係づけの論理をめぐる位相という,二つないし三つの位相を含んでおり,その結果,一見したところ,きわめて複雑な様相を呈することになる。たとえば,プラトンにおいて,宇宙の究極原理である〈一なるもの〉への探究は,この世的なものないし有限なもの一般にかかわる思考の同定した同一性を,いわばくり返し根本にたちかえってつきくずしていく問答法的あるいは弁証法的思考の遂行においてはじめて感得されるものというように考えられていた。また,トマス・アクイナスをはじめとする中世のスコラ哲学の思考においては,超越者たる神の同一性は,神ならざる被造物の同一性とは質的に区別されたものであり,後者を出発点とした類比的な〈アナロギア〉の道にしたがう思考によって達せられるべきものである,というように考えられている。
また絶対者を主観と客観のトータルな無差別と見るシェリングの同一哲学や,同一律を絶対的真理とし,宇宙の根本原理としての〈自我〉に関係させるフィヒテの哲学を批判し,根源の同一性は〈同一性と非同一性の同一性〉でなければならぬと論じたヘーゲルの考えも,前述の二つの位相をそれぞれに生かしながら媒介結合する論理を求めるところから発想されたものにほかならない。ヘーゲルにおける〈弁証法〉もまた,プラトンのそれと同じく,絶対者とわれわれの住む世界を媒介する論理を求めるところにすくなくともその成立の動機の一つをもっていることに留意すべきであろう。
現代物理学の認識に関連して,いわば差異化の働きをそのうちに含みこんだ弱い規準での同一性を論理的数学的に定式化する試みがなされ,またとりわけ,様相論理の領域から,同一性の思考に新たな問題が提起されている。心理学,精神医学などの領域においても,いわゆる人格や自我の同一性(アイデンティティ)といわれるものもまた,さまざまなレベルでの差異化のはたらきをその内に含みこんだものであることが示されている。現代哲学の一部に〈差異〉の問題をあらためて原点に立ちかえって考える動きが見られることも,以上の動向と直接間接に関係しながら,古代ギリシア以来の思考の伝統との接点をあらためて模索しつつある動きの一環と見ることができよう。
執筆者:坂部 恵
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
個物が時と場所の相違、諸性質の変化などを通じてそのもの自身であり続けることをいう。人の場合はとくに「人格同一性」とよばれる。また二つのもの(昨日の私と今日の私)が数において一つ(私自身)であることを「数的同一性」ないしは「自己同一性」、二つである場合(私と双子の兄弟)を「質的(種)同一性」という。後者は類似性と同義である。ヘラクレイトスの「われわれは同じ河流に入り、また入らない」という逆説にみられるごとく、同一性は古来哲学者たちの枢要な関心事であった。ロックおよびヒュームは、共時的な場面では単一性のみが問題となることから、同一性の概念の起源を通時的な場面に求め、その根拠を、異なる時と場所で同じものであり続けるという「時空的連続性」に置いた。それに対してライプニッツは、共時的場面における同一性を「不可識別者同一の原理」として定式化した。すなわち、aがbのあらゆる性質をもち、かつbがaのあらゆる性質をもてば、aとbは同一であるとされる。現代では、同一性はおもに同一性言明として意味論の領域で取り扱われる。フレーゲは、もし同一性が事物のそれ自身に対する関係であるとすれば、a=bとa=aの間に認識価値の差がなくなるところから、同一性は対象を指示する名前や記号の間の関係であると考えた。すなわち「明けの明星=宵の明星」は同一の指示対象(金星)をもつが、その意味(対象指示の様式)は異なるとしたのである。また最近ではクリプキが様相論理学の成果を踏まえて多数の可能世界を貫く個物の同一性を問題にし、そこから一種の本質主義を主張して新たな問題提起を行った。
[野家啓一]
『中村秀吉著『パラドックス』(中公新書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新