日本歴史地名大系 「若松湊・若松港」の解説
若松湊・若松港
わかまつみなと・わかまつこう
〔若松湊〕
近世に
慶安四年(一六五一)三月に郡代浜田作兵衛・黒崎代官三毛門喜左衛門・若松代官山路薩摩ら五名が連署した御証拠之写によると、当湊と黒崎湊は競合関係にあったことがうかがえ、宝永六年(一七〇九)には若松代官木村善兵衛と黒崎代官大島治右衛門が相談のうえ、洞海湾での海上輸送は荷物・旅人の積送りは黒崎湊で行うこと(ただし穀物は積んではならない)、穀物は若松船に積むこと(ただし、ついでの積荷を積む場合は黒崎で押えてはならない)、漁猟はこれまでどおり共同で自由にすることなどが定められた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報