英仏通商条約(読み)えいふつつうしょうじょうやく(その他表記)Anglo-French Commercial Treaty; Traité de commerce franco-anglais

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「英仏通商条約」の意味・わかりやすい解説

英仏通商条約
えいふつつうしょうじょうやく
Anglo-French Commercial Treaty; Traité de commerce franco-anglais

イギリスフランスとの間に結ばれた自由貿易主義原則とする通商条約で,おもなものに 1786,1860年の2つがある。 (1) 1786年の通商条約イーデン条約とも呼ばれる。フランスの重農主義者の経済的自由主義の主張とイギリスの産業資本の海外市場要求の声に動かされ,関税引下げによる貿易自由化を決定した。このため,フランスには安価なイギリス製品が流入し,工業危機を招いてアンシアン・レジーム崩壊を早めた。 (2) 1860年の通商条約はシュバリエコブデン条約とも呼ばれる。ナポレオン3世が条約締結の大権を行使し,議会にはからず独断で結んだ。この関税率の大幅な引下げ,輸入禁止制の撤廃で,奢侈品,工芸品生産部門以外の中小企業,家内工業は衰微し,大企業の工場近代化が進展した。イギリスを中心とするヨーロッパの自由貿易主義体制を象徴する条約。

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旺文社世界史事典 三訂版 「英仏通商条約」の解説

英仏通商条約
えいふつつうしょうじょうやく

①1786年に結ばれたイーデン条約のこと
②1860年に締結されたコブデン−シュヴァリエ条約のこと
この条約は両国航海と通商の自由を定め,従来高関税であった商品の関税をお互いに引き下げた。この結果両国間の貿易は促進され,フランスにイギリス製品が流入し,その後のフランス革命混乱と相まってフランス産業革命のマイナス要因となった。
ナポレオン3世の時代,フランスはそれまでの厳格な保護貿易政策・高関税政策を放棄し,自由貿易政策に転換した。フランス工業の近代化が促進され,その後英仏両国によってヨーロッパは自由貿易体制に移行していった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「英仏通商条約」の解説

英仏通商条約(えいふつつうしょうじょうやく)
Anglo-French commercial treaties

英仏間で結ばれた二つの通商条約。

①〔1786〕別称「イーデン条約」。重商主義的な関税政策で対抗していた両国が敵対関係を終わらせ,関税率の引き下げを実施したが,フランス革命によって破棄された。

②〔1860〕通称「コブデン‐シュヴァリエ条約」。イギリスに対抗して保護貿易政策をとっていたフランスに自由貿易政策への転換を実現させたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の英仏通商条約の言及

【関税】より

…しかし,産業革命以後,工業化が急速に進展してくると,市場の拡大が重要な課題となり,自由貿易の考えが登場する。イギリスでは,1786年に英仏通商条約(イーデン条約)が結ばれ,1846年には保護貿易主義の核心であった穀物法が廃止されるとともに自由貿易時代へと突入する。すでに1834年にはドイツ関税同盟が成立しており,60年の英仏自由通商条約(コブデン=シュバリエ条約)以降,つぎつぎと通商条約,関税協定が結ばれ,ヨーロッパ各国へ貿易自由化の波が広がっていった。…

【第二帝政】より

…この外交政策の転換によって帝政は労働者や小ブルジョアの支持を得るようになったが,一方,イタリア統一戦争介入によって教皇の世上権を脅かすところもありカトリックの離反を招いた。また,英仏通商条約(1860)の締結の結果,安価なイギリス商品が流入するため産業資本家たちは帝政反対派へと移行した。この帝政の支持基盤の変化が内政の転換を必然化し,一連の自由化政策がとられる。…

※「英仏通商条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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