英法(イギリス法)と米法(アメリカ法)をあわせたことばであるが、英米法は、単にイギリスとアメリカの法をさすばかりでなく、世界の重要な一つの法系を意味する場合にも用いられる。また、ときにはコモン・ローcommon lawと同義語として使われることがある。とくにコモン・ローは、最広義では、大陸法continental lawを意味するシビル・ローcivil lawと対比され、イギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国のうちイングランドとウェールズ)、アメリカ合衆国(ルイジアナ州を除くその他の州)、カナダ(ケベック州を除くその他の州)、オーストラリア、ニュージーランド、インド、その他のイギリス連邦諸国(スリランカを除く)などの地域を支配している。また、コモン・ローは、大陸法系の地域にも大きな影響を与えている(たとえば、連合王国中のスコットランド、アメリカ合衆国中のルイジアナ州、カナダのケベック州、南アフリカ共和国、スリランカ、プエルト・リコ、フィリピン)。
英米法の特徴は、次のような諸点に求められる。
[堀部政男]
イギリス法は、1066年のノルマン人の征服以降、イングランドで独自に形成され、歴史的継続性を保持しながら発展してきた。これは、ヨーロッパ大陸諸国において一つの国のなかに複数の法が併存し、法の統一のために、多かれ少なかれローマ法を継受したのとは対照的である。そのため、イギリスでは、中世に成立した法律(たとえば1215年のマグナ・カルタ)や判例法が使われることがあり、また、17世紀、18世紀の法律や判例法で現在も生きているものがある。
[堀部政男]
イギリス法の法源は歴史的には多様であって、その主要なものとしては、コモン・ロー、エクイティequity、商慣習法law merchant、教会法canon lawをあげることができる。これらのうちとくに重要な機能を果たしてきたのは、コモン・ローとエクイティである。
[堀部政男]
コモン・ロー(普通法)はノルマン人の征服後、国王の裁判所が各地の慣習法を基礎にしながら裁判を通して形成していった、イングランド共通の法である。歴史的には、国王裁判所として王座裁判所、民訴裁判所および財務裁判所の三つが設けられ(のちにこれらはコモン・ロー裁判所とよばれるようになった)、これらの裁判所に訴えを提起するためには、大法官Lord Chancellorの役所である大法官府Chanceryから、当該請求に適合した令状writを得なければならなかった。大法官府は、時代の要請にこたえて、新しい型の令状の発給をした時期もあったが、しだいに新しい型を追求しなくなってきた。その結果、裁判所で救済を受けられない場合も生じ、コモン・ローが硬直化するようになった。このようなコモン・ロー上の救済方法の欠陥を是正するために発展していったのがエクイティである。
[堀部政男]
コモン・ロー裁判所で救済を得られない者は、正義の源泉である国王に対して救済してほしいと請願するようになったが、その処理をゆだねられた大法官は、良心に照らして裁判するようになり、それにより与えられた救済から、エクイティ(衡平法)という法体系が生まれるに至った。同時に大法官裁判所(エクイティ裁判所)が設けられるようになった。
このように別々の裁判所で運用されてきたコモン・ローとエクイティは、19世紀には融合されるようになり、今日では大部分の法域で裁判所も統合されている。
[堀部政男]
判例法を第一次的法源とする考え方で、紛争の解決にあたっては裁判所の先例を検討することによって結論を導き出す。そのため判例法主義では、先例拘束性の原理が重要な機能を果たすことになる。とくにイギリスでは、厳格な先例拘束性の原理が確立し、上級裁判所の先例は下級裁判所を拘束し、また、最高裁判所でもあった貴族院(その裁判権能は2009年に連合王国最高裁判所によって引き継がれた)および控訴院は自己の先例にも拘束されると考えられてきた。しかし、1966年以降、先例の変更を認めるようになった。これに対しアメリカでは、先例拘束性は元来緩やかであった。
このような判例法主義のもとでも、制定法は存在する。制定法は長い間、判例法を補充しまたは修正するものとされてきたが、近年では独自に重要な役割を担うようになってきている。
[堀部政男]
判決を通じて法形成にあたる裁判官が、法律家として成熟した実務経験をもつ者から選任される方式であって、とくにイギリスでは、上級裁判所の裁判官は、バリスター(法廷弁護士)として広い経験を積み、かつもっとも優れた者のなかから任用されている。アメリカでも、裁判官は、法律家としての経験を積んだ者のなかから選ばれている。連邦および約半数の州は、このことが慣行にゆだねられているが、残りの州では、法律に明文の規定が置かれている。
法曹一元制には次のような多くの利点がある。第一に、裁判官が弁護士の経験を積んでいるということが、裁判官の人生経験を豊富にし、裁判が民衆に説得力をもつことになる。第二に、裁判官と弁護士が一体の意識をもち、両者の意思疎通が円滑になされる。第三に、裁判官が弁護士のうちの先輩から選ばれるために、訴訟指揮のうえで法廷が円滑に運用される。
[堀部政男]
法律の素人(しろうと)が裁判に関与する陪審制は、イギリスでは13世紀ごろから国王裁判所で利用されるようになった。また、アメリカでは建国当初から陪審裁判を受ける権利が重要視された。陪審には、刑事訴追を相当とするかどうかを審査する大陪審(起訴陪審)と、事件の事実審理を行う小陪審(審理陪審)とがある。前者は23名以下の陪審員(アメリカ合衆国の連邦では16名以上、23名以下)からなり、また、後者は伝統的には12名の陪審員から構成されてきた。イギリスでは、大陪審は、1933年の裁判法と1948年の刑事裁判法で廃止され、小陪審のうち、民事事件にかかわる民事陪審も衰退傾向にある。アメリカでは、州によっては大陪審を廃止したところもあるが、連邦憲法には大陪審の保障規定がある。
陪審制が英米法に与えた影響は計り知れない。実体法では、素人である陪審員が法を理解することができるように法の常識化が図られた。また、証拠法では、素人である陪審の判断の誤りを防止するために証拠の採否について厳格な証拠法則が発展した。伝聞証拠は証拠として使用することは許されないという伝聞証拠の排斥の法則は有名である。さらに、訴訟法では、陪審員が外部からの影響を受けないようにするために、公判から評決までの審理を継続的、集中的に短時間で行う集中審理方式が形成された。
[堀部政男]
『田中英夫・堀部政男著『英米法研究文献目録』(1977・東京大学出版会)』▽『田中英夫著『英米法総論』上下(1980・東京大学出版会)』▽『戒能通厚編『現代イギリス法事典』(2003・新世社)』▽『Roscoe PoundThe Spirit of the Common Law (1921, Marshall Jones Co., Boston)』
イギリス法--イングランドとウェールズの法--およびその影響を強く受けた法の総称。コモン・ローという言葉がこの意味で用いられることもある。各国の法は,その歴史と特徴から,いくつかのグループ--法系--にまとめることができるが,英米法は大陸法と並んで現在の世界における二大法系の一つである。
英米法と大陸法の間の違いの一番大きな淵源は,ドイツ法,フランス法などヨーロッパ大陸の諸国の法が,程度の差こそあれローマ法の影響を強く受けつつ発達してきたのに対し,イギリス法は,ローマ法の影響を限られた範囲でしか受けなかったという点にある。その結果,具体的な法制度のみならず,法に関する考え方の基本的な点においても,この両者の間にはさまざまな差異が存在する。そのおもなものを挙げれば,次の通りである。第1に,英米法系の諸国では,大陸法系の諸国と異なり,法の基本的な領域の大部分が法典化されていない。制定された法律の数は大陸法系の諸国に劣らず多いが,日本でいえば民法に規定されているような基本的な法原則の大部分が,判例の中から抽き出されなければならないのである(判例法主義)。第2に,法がある時期に一挙に法典化されたということがないだけに,法の歴史的継続性は,大陸法系の場合よりも大きい。第3に,法が判例を中心に発達してきたために,法律家のものの考え方においても,一般的抽象的な原理からの演繹によって問題の解決を図るよりも,それぞれの事件の事実に即し,過去の先例を参照しつつ,具体的に問題を検討していくことを重視する傾向が強い。第4に,具体性を重んずる思考形態は,問題の法的処理において実際に有効な救済を与えうるか否かを重視する態度を生んでいる。また,司法の面でのおもな特徴としては,弁護士その他として法律実務を長年積んだ者の中から裁判官を選任するという法曹一元の制度,並びに,一般人の中から基本的には無作為抽出的な方法で選ばれた陪審員が,(軽微なものを除き)刑事事件と一部の民事事件において審理に加わり,事実認定を担当する陪審制を挙げることができる。
英米法という概念は,このような法文化的概念である。したがって,英米法が行われている地域は,英語国民が主たる住民である地域とも,かつてイギリス帝国の支配下にあった地域とも,同一ではない。そもそも,連合王国の中でも,スコットランド法は基本的には大陸法に属する。その他,アメリカ合衆国の中ではルイジアナ州,カナダではケベック州の法は,フランス法を基盤としているし,かつてイギリス帝国のもとにあったスリランカと南アフリカ共和国の法は,オランダ古法をその基礎としている。このような現象が生じたのは,イギリスが新しく取得した領土においてどのような法が適用されるかについて,次のようなたてまえがとられていたからである。すなわち,征服または割譲によって取得された土地については,従来その地で行われていた法が(新しい主権者によって変更されない限り)適用される。これに対して,イギリス国民によって発見または植民された土地については(イギリス法の内容が植民地の諸条件に適合しないものであるときを除き)イギリス法が適用されるのである。したがって,かつてフランス領(および一時スペイン領)であったルイジアナ州の法が大陸法系に属するのは,それがアメリカがフランスから〈ルイジアナ購入〉で取得したときに,すでに西欧人の社会があり大陸法系の法が行われていたからである。もっとも,英米法が行われている地域と政治的・経済的一体性が強いこれらの地域に,英米法的な制度や考え方が伝播するのは自然のなりゆきであり,いろいろな点で大陸法と英米法の混合現象がみられる。
→大陸法
執筆者:田中 英夫
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…英米法系で,厳格法たる普通法,コモン・ローと対比され,もともとは衡平・正義感を基準にしてのコモン・ローの補正原理であったものが,判例法として凝固してでき上がった法の総称。すなわち衡平法とは,厳格で形式的・一般的な法に対して,個々の事件のもつ特殊性を重視し,普遍性のゆえに不完全となりうる法を具体的に補正する原理であったエクイティ(衡平)が,イギリスにおいては特殊な歴史的理由から,法をつかさどる裁判所すなわち各種のコモン・ロー裁判所とは別の裁判組織で体系的につかさどられるうちに漸次固定化・組織化され,コモン・ローとは別ではあるが同じような一種の実定的な判例法になってきたものを呼ぶのである。…
…そして最後に最も広義ではコモン・ローは,以上のような形でイギリスに生じた法体系の全体が,近代においてイギリスが世界帝国になり世界各地に多くの植民地を作り,それとともにその植民地に移植されるに伴い,フランスやドイツを中心に近代において継受されたローマ法を基礎にして同じく近代世界の多くの地方の法として用いられている法体系であるローマ法系ないしは大陸法系と対比されて,近代の二大法系の一つの呼称としても用いられている。日本ではこの場合は,大陸法系に対して英米法系と訳される場合が多い。コモン・ローとは以上のようにかなり多義的な語である点に留意しておく必要がある。…
…そのような〈法〉が,統治の各面を支配すべきだというのが,法の支配の精神の真髄なのである。 法の支配は,しばしば,英米法の基本原理の一つであるとされる。そして,17世紀初頭にイギリス国王と議会との間に抗争が生じた時期に,王権神授説を振りかざすジェームズ1世がコモン・ロー裁判所と教会裁判所の間の裁判権の争いについてみずから判決を下そうとしたのに対し,E.クックが,13世紀に公刊されたH.deブラクトンの有名な著作から,〈国王は何人の下にもあるべきではない。…
※「英米法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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