日本大百科全書(ニッポニカ) 「陪審制」の意味・わかりやすい解説
陪審制
ばいしんせい
司法への民衆参加の一態様。素人(しろうと)が裁判官の一員として参加する参審制とは違い、素人が裁判官とは異なる職分を担当して裁判に関与する制度。その淵源(えんげん)は、フランク王国時代に北フランスのノルマンディー地方で、事件発生地の近辺の住民を集め、その宣誓陳述を聴いて裁判を行っていた慣行に求めることができるという。この慣行が、11世紀のノルマン民族によるイギリス征服に際してイギリスに伝えられた。イギリスでも当初、陪審員は証人的性格を有していたが、しだいに裁判の一端を担い事実を認定するようになった。陪審制は、それまでの神判や決闘などといった非合理的な審判にとってかわることになったが、さらにその発展は、政治権力の専断から人民の権利や自由を守る役割も果たすことになった。
陪審とよばれる制度のなかには、司法制度の枠外にあって他殺か否かの調査にあたる検屍(けんし)官陪審coroner's juryといった制度もあるが、通例は、大陪審grand juryと小陪審petit juryのことをいう。大陪審は、起訴陪審ともいわれ、通常23名によって構成され、起訴するか否かを決定する。これに対し小陪審は、審理陪審ともいわれ、裁判上争点となっている事実問題について審理判断する。通例、陪審といえば、この小陪審をさす。民事陪審と刑事陪審があり、原則として12名で構成される。これらの制度は、アメリカにも継受され、独自の発展を遂げることになった。18世紀末から19世紀にかけて、フランスや西ドイツなどのヨーロッパ大陸諸国でも司法民主化の手段として刑事陪審が導入されたが、結局は成功せず、陪審制は英米法系に特徴的な制度となっている。とはいえ、現状は複雑である。大陪審は、決定が単純過半数で行われ、被疑者に反証の権利がない。いったん不起訴になっても別の陪審による起訴を妨げない。それに、訴追機関の要求がそのまま承認されることも多いなどといったことから、その効用に疑問がもたれ、イギリスでは1933年に廃止された。アメリカでも、連邦憲法は重大犯罪について大陪審を受ける権利を保障しているが、州によっては廃止や制限の動きがある。また小陪審は、評決の全員一致制や、証拠法則、起訴手続などについて、その判断の公正性を担保する手だてが講じられてきており、民主主義的視点からする擁護論も強いが、現実の陪審の判断などから批判も多い。イギリスでは退潮傾向にあるともいわれるが、陪審事件の限定、陪審の構成や評決方法の改革、それに裁判官によるコントロールの強化なども企図されており、アメリカではなお陪審裁判が基本になっている。
わが国でも、大正デモクラシーを背景に、1923年(大正12)に刑事陪審を導入する陪審法が制定された。しかし、伝統の欠如や制度的不備といったことから十分に利用されることなく、43年(昭和18)にその施行が停止されてしまった。現行裁判所法は、刑事陪審を設けることを妨げない旨規定し(3条3項)、その復活の可能性を残しているが、実現せずに現在に至っている。また、その機能は異にするものの検察審査会制度は、大陪審に倣ったものだといわれる。
[大出良知]