湘南地方ともいう。神奈川県三浦半島の中央西部海岸から、箱根火山の山脚部にわたる相模(さがみ)湾奥の沿岸地域。葉山、逗子(ずし)、鎌倉(かまくら)、藤沢、茅ヶ崎(ちがさき)、平塚、大磯(おおいそ)、二宮(にのみや)、小田原にかけた一帯が含まれる。旧相模国(神奈川県)の南海岸なので「相南」と書くべきであるが、中国の景勝地の湖南省の湘江(しょうこう)にちなんで「湘」の字があてられている。黒潮の分流の相模湾流が沿岸を洗うため、冬は暖かく(気温6~7℃)、夏は海・陸風がはっきり交代して一日中風があって涼しい。また、どこの海岸からも富士、箱根、伊豆の山々や大島などが展望できる。1887年(明治20)に東海道線が国府津(こうづ)まで、また1889年に横須賀(よこすか)線が開通してからは京浜人の別荘地、療養地、海水浴場、また住宅地としても利用されるようになって有名になった。湘南はまた温暖な気候を利用した京浜向けの野菜の早出し、大磯・二宮を中心とした酪農など、農業多角化の先駆地域であり、近郊農業地域としても知られる。第二次世界大戦中にここへも京浜から工場疎開が行われたが、戦後にも近代工業の大工場が多く進出し、鎌倉の大船(おおふな)地区や藤沢、茅ヶ崎、平塚、小田原の工業化がとくに著しい。これに戦後は京浜通勤者向けの住宅団地の開発も多く、湘南は京浜の工業、住宅衛星都市地域となり、人口も急増している。これに対して鉄道の輸送力が増強され、国道134号、小田原厚木道路(国道271号)、西湘バイパスが増設されている。
長者ヶ崎(葉山町)、大崎(逗子市)、稲村ヶ崎(鎌倉市)など三浦半島や江の島の西岸は海波の侵食を受けて、切り立った海食崖(がい)の好風景がみられる。江の島対岸の片瀬から大磯、小田原市の臨海地域へかけては一続きの砂浜海岸で、海水浴客でにぎわい、また江の島の湘南港や鎌倉の腰越(こしごえ)港、葉山の鐙摺(あぶずる)港などヨットや釣魚の基地も少なくない。
[浅香幸雄]
神奈川県中部,相模湾岸一帯の地域名。本来は相模国南部の意味であるが,中国の洞庭湖に注ぐ湘江下流部の湘南の風景美になぞらえて湘の字をあてた。この地は,逗子に住んだ徳冨蘆花(ろか)が随筆集《自然と人生》(1900)でその風景をたたえてから著名となり,1921年藤沢に創立された県立中学は湘南中学(現,湘南高校)と称し,逗子に海水浴客を運んだ京浜急行電鉄は30年の創設当時は湘南電鉄と称した。湘南の範囲は一定していないが,鎌倉,藤沢,茅ヶ崎,平塚,大磯,二宮,小田原の5市2町の相模湾岸を指し,ほかに三浦半島北部の逗子市,葉山町を含めることが多い。北に丘陵を負い,南は海に面するこの地域は,明治中期から避暑・避寒地として開発され,1885年には大磯に海水浴場が開かれ,以後湾岸一帯に広まった。第2次世界大戦後は京浜工業地帯の西への延長に伴って工業地化,住宅地化が著しい。江の島,片瀬海岸から大磯にかけての湘南道路沿いにはレジャー施設やドライブインが多く設けられ,観光客を集めている。
執筆者:伊倉 退蔵
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