改訂新版 世界大百科事典 「荒木俊馬」の意味・わかりやすい解説
荒木俊馬 (あらきとしま)
生没年:1897-1978(明治30-昭和53)
熊本県の生れ。1923年京都帝国大学理学部宇宙物理学科を卒業し,講師を経て24年助教授となった。セファイド型(ケフェウス座δ型)変光星の大気に関する研究で学位を取得(1929),29-31年ドイツに留学し,ポツダム天体物理観測所のルーデンドルフ,F.W.H.Ludendorff,(1873-1941)やベルリン大学のM.T.F.vonラウエのもとで研究に従事した。帰国後は天体物理学と天体力学の講義を担当し,また研究活動は変光星から白色矮星(わいせい)の内部構造,輝線スペクトルを示す特異星大気の理論,さらに日本学士院の委嘱による日本暦学史の分野に及んだ。41年京都帝国大学教授となったが,45年8月の日本の敗戦に思うところあって同年10月に教授の職を辞し,丹波の山峡に隠棲して約10年間著述に専心,《天文宇宙物理学総論》7巻(1947-52)など多数の本を書き上げた。戦時中に大日本言論報国会理事をつとめたことから47-51年公職追放を喫したが,その後54-64年大谷大学教授を経て,65年京都産業大学を創設して学長兼理事長に就任し,終生その任にあった。1964年に日本天文学会名誉会員に推挙され,また76年にポーランド最高功労十字勲章を贈られた。遺稿として《天体力学》《荒木俊馬論文集》(ともに1979)がある。
執筆者:堀 源一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報