日本大百科全書(ニッポニカ) 「大日本言論報国会」の意味・わかりやすい解説
大日本言論報国会
だいにほんげんろんほうこくかい
太平洋戦争期に内閣情報局の指導・監督のもとに組織された思想家・評論家の国策協力団体。当初、大日本思想報国会の名称で計画されたが、のち大日本言論報国会に改められ、1942年(昭和17)12月23日に創立された。役員は、会長徳富蘇峰(そほう)(猪一郎(いいちろう))、専務理事鹿子木員信(かのこぎかずのぶ)、理事は津久井竜雄(たつお)、大串兎代夫(おおぐしとよお)、大熊信行(おおくまのぶゆき)、高山岩男、高坂正顕(こうさかまさあき)、市川房枝ら27名。会員には旧日本評論家協会(1940創立、代表津久井)のメンバーを中心に広く思想家・評論家が加わり、43年7月現在で917名。幹部には天皇制国家主義の支持者が多く、「国体ノ本義ニ基キ聖戦貫遂ノタメ……皇国内外ノ思想戦ニ挺身(ていしん)スルコト」(定款3条)を目的に掲げ、たとえば米英撃滅思想戦大講演会を開催したり、『日本思想叢書(そうしょ)』を刊行したりして、日本文学報国会、日本美術報国会、日本音楽文化協会など、同種の国策協力団体と並んで総力戦体制の一翼を担った。敗戦と同時に活動を停止、1945年(昭和20)8月27日に解散した。
[内川芳美]
『日本ジャーナリスト連盟編『言論弾圧史』(1949・銀杏書房)』▽『黒田秀俊著『血ぬられた言論』(1952・学風書院)』