菊池武夫(読み)きくちたけお

精選版 日本国語大辞典 「菊池武夫」の意味・読み・例文・類語

きくち‐たけお【菊池武夫】

  1. 法学者。南部藩出身。東京開成学校第一回遣外学生としてアメリカに留学。帰国後、東京大学教授となり、司法省に出仕して法典調査立案尽力。のち、英吉利法律学校(のちの中央大学)の創立に参画し、初代学長に就任。安政元~明治四五年(一八五四‐一九一二

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20世紀日本人名事典 「菊池武夫」の解説

菊池 武夫
キクチ タケオ

明治・大正期の陸軍中将,男爵 貴院議員。



生年
明治8年7月23日(1875年)

没年
昭和30(1955)年12月1日

出生地
宮崎県

学歴〔年〕
陸士(第8期)〔明治29年〕卒,陸大〔明治39年〕卒

経歴
男爵菊池武臣の嗣子。明治37年歩兵第23連隊付少尉、日露戦争に中隊長として従軍、40年第16師団参謀、大正2年陸大教官、9年歩兵第64連隊長、歩兵第11旅団長、13年奉天特務機関長を歴任。昭和2年中将で予備役となり勤労連盟を主宰、右翼政治家として活躍。6年貴院議員、7年神武会を結成大川周明と結び、8年第64議会でマルクス主義を講義する帝大の廃校を鳩山文相に要求。9年頭山満らと昭和神聖会を結成、10年第67議会で美濃部達吉東大名誉教授を「学匪」と非難天皇機関説排撃の先頭に立った。12年時局協議会に関係、14年国民精神総動員中央連盟理事。戦後戦犯に指名されたが、22年9月釈放。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「菊池武夫」の解説

菊池 武夫
キクチ タケオ


肩書
貴院議員

生年月日
明治8年7月23日

出生地
宮崎県

学歴
陸士(第8期)〔明治29年〕卒 陸大〔明治39年〕卒

経歴
男爵菊池武臣の嗣子。明治37年歩兵第23連隊付少尉、日露戦争に中隊長として従軍、40年第16師団参謀、大正2年陸大教官、9年歩兵第64連隊長、歩兵第11旅団長、13年奉天特務機関長を歴任。昭和2年中将で予備役となり勤労連盟を主宰、右翼政治家として活躍。6年貴院議員、7年神武会を結成、大川周明と結び、8年第64議会でマルクス主義を講義する帝大の廃校を鳩山文相に要求。9年頭山満らと昭和神聖会を結成、10年第67議会で美濃部達吉東大名誉教授を「学匪」と非難、天皇機関説排撃の先頭に立った。12年時局協議会に関係、14年国民精神総動員中央連盟理事。戦後戦犯に指名されたが、22年9月釈放。

没年月日
昭和30年12月1日

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池武夫」の解説

菊池武夫(3) きくち-たけお

1939- 昭和後期-平成時代の服飾デザイナー。
昭和14年5月25日生まれ。39年アトリエを開設,オーダーメードや広告関係の衣装を手がける。46年BIGI(ビギ),50年メンズ・ビギを設立。53年メンズデザイナーとしてパリコレクションに初参加。59年ワールドに移籍して新ブランドを発足させた。東京出身。文化学院卒,原のぶ子デザインアカデミー卒。

菊池武夫(1) きくち-たけお

1854-1912 明治時代の法学者。
嘉永(かえい)7年7月28日生まれ。明治8年アメリカに留学。帰国後司法省民事局長,東京大学教授をつとめ,弁護士に転身する。18年英吉利(イギリス)法律学校を創立し,のち後身の中央大初代学長。21年わが国初の法学博士。明治45年7月6日死去。59歳。陸奥(むつ)盛岡出身。東京開成学校(東大の前身)卒。

菊池武夫(2) きくち-たけお

1875-1955 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。
明治8年7月23日生まれ。昭和2年陸軍中将で予備役となり,勤労連盟を主宰して右翼運動に関係。6年貴族院議員。10年貴族院本会議で美濃部(みのべ)達吉の天皇機関説を国体に反するとして糾弾し,排撃運動の先頭にたった。昭和30年12月1日死去。80歳。宮崎県出身。陸軍大学校卒。

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367日誕生日大事典 「菊池武夫」の解説

菊池 武夫 (きくち たけお)

生年月日:1854年7月28日
明治時代の法律学者。法学博士;司法省民事局長
1912年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菊池武夫の言及

【国体明徴問題】より

…こうした二つの方向は,満州事変以後の戦時体制化の過程で,合体しながら攻撃的性格を強め,35年には,憲法解釈としての天皇機関説排撃を突破口として,個人主義,自由主義をも反国体的なものとして否定しようとする国体明徴運動をひき起こすこととなった。まず35年2月の第67議会で貴族院の菊池武夫が美濃部達吉(当時東京帝大教授,貴族院議員)の学説をとりあげ,統治権の主体を国家とし,天皇をその国家の最高機関とする天皇機関説は,天皇の絶対性を否定し,天皇の統治権を制限しようとする反国体的なものだ,として攻撃を開始,これに呼応して院外でも軍部の支持のもとに在郷軍人会や右翼団体などの運動が全国的に展開されることとなった。岡田啓介内閣もこれに屈して,4月9日には《憲法撮要》など美濃部の3著書を発売禁止処分とし,さらに8月3日には第1次,10月15日には第2次の国体明徴声明を発して,天皇機関説を国体に反するものと断定,この学説の排除を決定した。…

※「菊池武夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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