菊田歌雄(読み)キクタ ウタオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「菊田歌雄」の解説

菊田 歌雄(初代)
キクタ ウタオ


職業
地歌箏曲

本名
菊田 うた

旧名・旧姓
吉田

生年月日
明治12年 12月7日

出生地
大阪府 野江

経歴
6歳の時、生母の弟菊田八重都勾当の養女となり、16歳で野川流三弦、継山流箏曲を伝授され、胡弓も習い、バイオリンを黒田恋琴に、ピアノを浜田キヌに、雅楽を大村恕三郎に学んだ。さらに七弦琴、八雲琴も修得した。大正4年相愛高等女学校嘱託教諭、また大阪女子音楽学校(相愛女子大の前身)嘱託教員となり箏曲を教えた。7年邦楽同志会を組織、新日本音楽運動を広めた。9年から大阪市立盲唖学校の嘱託も兼ね、14年から教諭となった。昭和8年当道音楽会から箏曲の楽譜を採譜発行、9年琴原琴治らと高等女学校箏曲科設置の運動を行い、10年設立の箏曲音楽学校が大阪市から認可され、その教員を務めた。

没年月日
昭和24年 6月15日 (1949年)

家族
養父=菊田 八重都勾当,養子=菊田 歌雄(2代目)


菊田 歌雄(2代目)
キクタ ウタオ


職業
地歌箏曲家

本名
菊田 ヒサコ

旧名・旧姓
島津

別名
前名=菊島 久子

生年月日
明治43年 12月24日

出生地
福岡

学歴
東京文化学院〔昭和2年〕卒

経歴
昭和2年初代菊田歌雄の門に入り、17年その養女となって24年に2代目を襲名した。琴菊会を主宰。菊田姓の襲名は菊田甚一検校から数えて4代目。

没年月日
昭和53年 4月15日 (1978年)

家族
養母=菊田 歌雄(初代)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「菊田歌雄」の解説

菊田 歌雄(1代目)
キクタ ウタオ

明治〜昭和期の地唄箏曲家



生年
明治12(1879)年12月7日

没年
昭和24(1949)年6月15日

出生地
大阪・野江

本名
菊田 うた

旧姓(旧名)
吉田

経歴
6歳の時、生母の弟菊田八重都勾当の養女となり、16歳で野川流三弦、継山流箏曲を伝授され、胡弓も習い、バイオリンを黒田恋琴に、ピアノを浜田キヌに、雅楽を大村恕三郎に学んだ。さらに七弦琴、八雲琴も修得した。大正4年相愛高等女学校嘱託教諭、また大阪女子音楽学校(相愛女子大の前身)嘱託教員となり箏曲を教えた。7年邦楽同志会を組織、新日本音楽運動を広めた。9年から大阪市立盲啞学校の嘱託も兼ね、14年から教諭となった。昭和8年当道音楽会から箏曲の楽譜を採譜発行、9年琴原琴治らと高等女学校箏曲科設置の運動を行い、10年設立の箏曲音楽学校が大阪市から認可され、その教員を務めた。


菊田 歌雄(2代目)
キクタ ウタオ

昭和期の地唄箏曲家



生年
明治43(1910)年12月24日

没年
昭和53(1978)年4月15日

出生地
福岡

本名
菊田 ヒサコ

旧姓(旧名)
島津

別名
前名=菊島 久子

学歴〔年〕
東京文化学院〔昭和2年〕卒

経歴
昭和2年1代目菊田歌雄の門に入り、17年その養女となって24年に2代目を襲名した。琴菊会を主宰。菊田姓の襲名は菊田甚一検校から数えて4代目。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊田歌雄」の解説

菊田歌雄(初代) きくた-うたお

1879-1949 明治-昭和時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
明治12年12月7日生まれ。叔父で菊池派の菊田八重一(やえのいち)の養女となる。邦楽,洋楽,雅楽をおさめ,バイオリンのための箏曲五線楽譜を出版。大正7年邦楽同志会を組織して宮城道雄の音楽運動を関西にひろめる。昭和10年箏曲音楽学校教官。昭和24年6月15日死去。71歳。大阪出身。本名は「うた」。

菊田歌雄(2代) きくた-うたお

1910-1978 昭和時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
明治43年12月24日生まれ。初代菊田歌雄に入門し菊島久子を名のる。昭和18年師の養女となり,24年2代を襲名。琴菊会を主宰した。昭和53年4月15日死去。67歳。福岡県出身。文化学院卒。旧姓は島津。本名はヒサコ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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