菊竹淳(読み)キクタケ スナオ

20世紀日本人名事典 「菊竹淳」の解説

菊竹 淳
キクタケ スナオ

明治〜昭和期のジャーナリスト 福岡日日新聞副社長・主筆



生年
明治13(1880)年12月16日

没年
昭和12(1937)年7月21日

出生地
福岡県生葉郡福益村(現・浮羽郡吉井町)

別名
号=菊竹 六鼓(キクタケ ロッコ)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)英語政治科〔明治36年〕卒

経歴
明治36年福岡日日新聞(現・西日本新聞)入社。整理部記者、編集長を経て、昭和3年編集主幹、4年編集局長。政友会系の立場から政党政治擁護の論陣を展開、また地域暴力追放や廃娼運動など社会的正義の実現に努めた。7年の5.15事件の際には一連社説軍部対抗言論界に不朽の名をとどめる。10年副社長兼主筆となる。終生同紙を舞台に反ファシズムの言論活動を展開した。評伝に「記者ありき 六鼓・菊竹淳の生涯」(木村栄文著)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊竹淳」の意味・わかりやすい解説

菊竹淳
きくたけすなお
(1880―1937)

新聞記者。号は六鼓(ろっこ)。明治13年1月25日福岡県生まれ。1903年(明治36)東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)卒業後、『福岡日日新聞』(現、西日本新聞)に入社。編集長、副社長、主筆を務める。1932年(昭和7)の五・一五事件に際し「敢(あえ)て国民覚悟を促す」の社説で軍部を攻撃議会政治擁護の論陣を張ったことは有名。昭和12年7月21日没。郷里うきは市吉井町に菊竹六鼓記念館がある。

[春原昭彦]

『木村栄文編著『六鼓菊竹淳』(1975・葦書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊竹淳」の解説

菊竹淳 きくたけ-すなお

1880-1937 明治-昭和時代前期の新聞記者。
明治13年1月25日生まれ。36年福岡日日新聞社(西日本新聞社の前身)に入社。昭和4年編集局長。7年五・一五事件に際し,一連の論説をかいて議会政治を擁護し,軍部の政治介入を批判した。10年副社長。昭和12年7月21日死去。58歳。福岡県出身。東京専門学校(現早大)卒。号は六皷。

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367日誕生日大事典 「菊竹淳」の解説

菊竹 淳 (きくたけ すなお)

生年月日:1880年12月16日
明治時代-昭和時代の新聞記者。福岡日日新聞副社長
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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