東山三十六峰の一で粟田口村の字でもあった。人家・田畑は希少で大半が山林。東は現山科区、西は三条坊(現三条坊町)、南は知恩院境内(現
「京羽二重織留」(元禄二年刊)に「粟田山の西にあり、いにしへ毎春桜花爛の地にして毎年公方家来臨」と記す。古来、桜の名所として知られるとともに、粟田口を抑える眺望の地で、軍事上の要衝としても重きをなした。「応仁前記」寛正六年(一四六五)三月四日条に「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...