デジタル大辞泉 「華頂山」の意味・読み・例文・類語 かちょう‐ざん〔クワチヤウ‐〕【華頂山】 中国浙江せっこう省、天台山の主峰。京都東山三十六峰の一。京都知恩院の山号。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「華頂山」の意味・読み・例文・類語 かちょう‐さんクヮチャウ‥【華頂山】 ( 「かちょうざん」とも ) 京都市東山区粟田口、東山三十六峰の一つ。三井寺の別院、花頂院があった。山腹に粟田神社がある。[初出の実例]「昔遍昭僧正の、憂き世を厭(いと)ひし華頂山(かちょおざん)」(出典:謡曲・西行桜(1430頃)) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「華頂山」の解説 華頂山かちようざん 京都市:東山区粟田口村華頂山東山三十六峰の一で粟田口村の字でもあった。人家・田畑は希少で大半が山林。東は現山科区、西は三条坊(現三条坊町)、南は知恩院境内(現林下(りんか)町)より高台寺山(こうだいじやま)(現高台寺山町)に延び、北は花頂(現華頂町)・鍛冶(かじ)(現鍛冶町)と境界を接する。山名の由来は、もと花頂院のあったことによる。青蓮(しようれん)院の後山にあたる。標高二一〇メートル余。山頂に将軍塚がある。「京羽二重織留」(元禄二年刊)に「粟田山の西にあり、いにしへ毎春桜花爛の地にして毎年公方家来臨」と記す。古来、桜の名所として知られるとともに、粟田口を抑える眺望の地で、軍事上の要衝としても重きをなした。「応仁前記」寛正六年(一四六五)三月四日条に「公方(足利義政)家、花頂山御花見に御成あり。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by