(1)能の曲名。三番目物。世阿弥作。シテは桜の精。京都西山の西行法師(ワキ)の庵の桜が満開で,大勢の見物人(ワキヅレ)がやって来る。遠路の訪問者をすげなく断ることもできず庭に通すが,西行は内心迷惑なので,〈花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎(とが)にはありける〉と和歌を口ずさむ。その夜の夢に,木陰から桜の精の老人が現れて,〈桜の咎〉とは承服できないと不満を述べる。だがいっぽう西行の知遇を得たことを喜びとし,京都の名所名所の桜を数えあげてその景色をたたえ(〈クセ〉),ものさびた舞を舞い(〈序ノ舞〉),夜明けとともに消えていく。クセ,序ノ舞が中心。前半の花見のにぎわいから一転して静寂な夜の場面に移るところには,作者の非凡な力量がうかがわれる。
執筆者:横道 万里雄(2)地歌箏曲の曲名。菊崎検校左一(1795年登官。第52代惣録検校とは別人)作曲の本調子手事物の地歌で,本来は長歌物,謡物。綿屋孫八作詞。《新大成糸のしらべ》(1788)に初出。歌詞は謡曲のクセの京都の桜の名所尽くしの部分を採っているが,物語の展開とは直接関係はない。箏の手は地域によって異なるが,京都では八重崎検校のが一般的。《八重霞(やえがすみ)》(または《越後獅子》)と《残月》とで《芸妓三つ物》といわれ,派手な曲の代表とされる。
執筆者:久保田 敏子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
能の曲目。四番目物、またその情緒の幽玄味により三番目物に準じても扱う。五流現行曲。世阿弥(ぜあみ)作。歌人西行(ワキ)の庵室(あんしつ)の名木の桜。花見の人のにぎわいを嫌い、西行は今年の花見禁制(きんぜい)を寺男(アイ)に告げさせる。しかし押し寄せてきた大ぜいの花見客。しかたなく招じ入れる。これも桜の科(とが)と西行は歌を詠む。「花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の科にはありける」。西行の夢のなかに現れた老木の精(シテ)は、桜の責任ではないと反論し、京都の桜の名所を美しく描写し、閑雅に舞って暁(あかつき)とともに消えうせる。老いた桜の精は、いわば西行の詩心の投影であり、墨絵で都の花を描いてみせるというような凝った手法の能である。類似の能に、観世小次郎信光(のぶみつ)作の『遊行柳(ゆぎょうやなぎ)』があり、西行に歌を詠まれた老いた柳の精が閑寂に舞う。ともに名作である。
[増田正造]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…西行の伝説は,発心出家の動機と決断をめぐるもの,山居のきびしい修行にたえる行者の姿を語るもの,文覚や西住などとの交遊,崇徳院の供養に関するもの,頼朝にもらった銀の猫を門外に遊ぶ子供に与えたというような無欲潔癖な性格を伝えるもの,院の女房や江口の遊女と歌を読みかわしたというような数寄の心の持主として伝えるもの,など多方面にわたっている。室町時代に入ると,西行は連歌師の理想像となり,謡曲では幽玄の極致をあらわす人物として《雨月》《江口》《西行桜》《松山天狗》の主人公となり,他の数々の曲にも登場している。また御伽草子の《西行》などによっても,その名は広く知られることになった。…
※「西行桜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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