改訂新版 世界大百科事典 「藤原伊通」の意味・わかりやすい解説
藤原伊通 (ふじわらのこれみち)
生没年:1093-1165(寛治7-永万1)
平安後期の廷臣。藤原宗通の次男。母は藤原顕季の女。1105年(長治2)13歳で白河院の判官代として院分国三河守となり,順調に立身したが,30年(大治5)下位の藤原長実に権中納言を越えられたため,恥じて参議・右兵衛督・中宮権大夫を辞して籠居した。辞任は認められなかったが,出仕しなかったので翌年免官された。33年(長承2)崇徳天皇の寵を得て,関白藤原忠通の反対にもかかわらず陣座で権中納言に任ぜられた。陣座での拝官は伊通をもって初めとする。平治の乱のさい,藤原信頼が戦功者を勝手に叙任したのを見て,〈人を多く殺した計で官位を与えるのであれば,三条殿の井は多くの人を殺している。何故その井に官位を与えないのか〉と批判したと伝える。その著《大槐(たいかい)秘抄》は朝政の衰退を嘆いて二条天皇に奉った政見書である。左大臣から太政大臣に進み,大宮大相国,九条相国と呼ばれた。
執筆者:平林 盛得
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報