藤原宗通(読み)ふじわらのむねみち

改訂新版 世界大百科事典 「藤原宗通」の意味・わかりやすい解説

藤原宗通 (ふじわらのむねみち)
生没年:1071-1120(延久3-保安1)

平安後期の公卿。右大臣俊家の男。1084年(応徳1)元服昇殿以来,白河天皇寵恩により,加階任官ごとに諸人を越えて昇進し,94年(嘉保1)蔵人頭から参議に昇り,権中納言,右衛門督検非違使別当などを歴任して権大納言に進み,一方では天皇の譲位とともに院別当に補された。藤原宗忠評言によると,容体人にすぐれ,心性時にかない,上皇が何事につけても相談したので,天下権威がみな彼に集中したといい,一身で権大納言,民部卿,中宮大夫を兼ね,一家で備中因幡両国を知行し,富貴相兼ね,家門繁盛すといわれた。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原宗通」の解説

藤原宗通

没年保安1.7.22(1120.8.17)
生年:延久3(1071)
平安時代の公卿。右大臣俊家と源兼長の娘の子。幼名阿古丸。幼時から白河天皇に寵愛され,譲位後は白河院別当となる。蔵人頭,参議,権中納言と,上位の人々を越えてめざましく昇進を続け,天永2(1111)年権大納言。権勢の中でのその死に当たり,甥の藤原宗忠は日記『中右記』に,上皇は万事を宗通に相談するので,その権威は傍若無人であり,家中の富は衆人勝り,権大納言・民部卿・中宮大夫の三官を帯び,一家のうちで備中・因幡を知行し,家門は繁盛していると評している。<参考文献>河野房雄『平安末期政治史研究』,戸田芳美『中右記』

(吉田早苗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原宗通」の解説

藤原宗通 ふじわらの-むねみち

1071-1120 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
延久3年生まれ。藤原俊家の子。母は源兼長の娘。白河天皇の寵愛(ちょうあい)をうけて昇進。寛治(かんじ)8年(1094)参議。のち正二位,権(ごんの)大納言にすすみ,民部卿,中宮大夫(だいぶ)をかねた。白河院別当として権勢をふるい,一家で備中(びっちゅう),因幡(いなば)の両国を知行した。保安(ほうあん)元年7月22日死去。50歳。幼名は阿古丸。号は坊門。

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