藤原吉野(読み)ふじわらのよしの

朝日日本歴史人物事典 「藤原吉野」の解説

藤原吉野

没年:承和13.8.12(846.9.6)
生年延暦5(786)
平安前期の公卿。綱継と妹子(姉子とも。綱継の異母妹)の長男。駿河守としての治績が評価され,弘仁14(823)年,淳和天皇即位にともない中務少輔に抜擢された。以後淳和に近侍し,天長10(833)年3月,仁明天皇即位と同時に正三位に叙せられたが,右近衛大将を辞し淳和上皇につき従った。同11年中納言。承和7(840)年5月,上皇が没後散骨を命じたとき,宗廟たるべき山陵がなければ臣下はどこを仰げばよいのかといってこれを戒めている。親に孝養を尽くしたことでも知られ,留守中,父綱継の使いがきて新鮮な肉を請うたが,料理人は分け与えなかった。あとでそれを知り料理人を責め,以後二度と肉を食べなかったという。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原吉野」の解説

藤原吉野 ふじわらの-よしの

786-846 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)5年生まれ。式家藤原綱継(つなつぐ)の長男。母は綱継の異母妹。淳和(じゅんな)天皇の近臣。天長5年(828)参議,10年正三位,承和(じょうわ)元年中納言となった。9年承和の変に連座して大宰員外帥(だざいのいんがいのそち)に左遷,12年山城国(京都府)にうつされた。寛大な人柄,親孝行の逸話などがつたえられる。承和13年8月12日死去。61歳。

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