藤原寛子(読み)ふじわらの かんし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原寛子」の解説

藤原寛子(3) ふじわらの-かんし

1036-1127 平安時代中期,後冷泉(ごれいぜい)天皇皇后
長元9年生まれ。藤原頼通(よりみち)の娘。母は藤原祇子(ぎし)。永承5年(1050)女御(にょうご),翌年皇后となる。藤原歓子の立后により中宮(ちゅうぐう)にうつり,のち皇太后,太皇太后。四条后,宇治大宮とよばれる。「皇后宮春秋歌合」などを主催した。大治(だいじ)2年8月14日死去。92歳。

藤原寛子(2) ふじわらの-かんし

999-1025 平安時代中期,敦明(あつあきら)親王(小一条院)の妃。
長保元年生まれ。藤原道長の娘。母は源明子寛仁(かんにん)元年(1017),東宮をしりぞき院号をさずけられた敦明親王にとつぐ。「栄花物語」はこのとき19歳とつたえている。敦元親王,儇子(けんし)内親王らを生んだ。万寿2年7月9日死去。27歳。

藤原寛子(1) ふじわらの-かんし

906-945 平安時代中期,重明(しげあきら)親王の妃。
延喜(えんぎ)6年生まれ。藤原忠平次女。徽子(きし)女王(斎宮女御),悦子女王,源邦正らを生んだ。天慶(てんぎょう)8年1月18日死去。40歳。名は「ひろこ」ともよむ。

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関連語 冷泉天皇

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原寛子」の意味・わかりやすい解説

藤原寛子
ふじわらのかんし

[生]長元3(1030)
[没]大治2(1127).8.14.
後冷泉天皇の皇后。頼通の娘。別称,四条后。永承5 (1050) 年女御,翌年皇后となった。

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