デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原寛子」の解説
藤原寛子(3) ふじわらの-かんし
長元9年生まれ。藤原頼通(よりみち)の娘。母は藤原祇子(ぎし)。永承5年(1050)女御(にょうご),翌年皇后となる。藤原歓子の立后により中宮(ちゅうぐう)にうつり,のち皇太后,太皇太后。四条后,宇治大宮とよばれる。「皇后宮春秋歌合」などを主催した。大治(だいじ)2年8月14日死去。92歳。
藤原寛子(2) ふじわらの-かんし
長保元年生まれ。藤原道長の娘。母は源明子。寛仁(かんにん)元年(1017),東宮をしりぞき院号をさずけられた敦明親王にとつぐ。「栄花物語」はこのとき19歳とつたえている。敦元親王,儇子(けんし)内親王らを生んだ。万寿2年7月9日死去。27歳。