朝日日本歴史人物事典 「藤原寛子」の解説
藤原寛子
生年:長元9(1036)
平安中期,後冷泉天皇の皇后。関白藤原頼通と従二位藤原祇子の娘。永承5(1050)年15歳で入内。翌年皇后,以後,中宮,皇太后,太皇太后となり,「在后位七十七年,古今未だ此の如き例なし,志性は甚直,花美極限なし」(『中右記』死没日条)とされるが,子が生まれず頼通の権勢が崩壊する因になったといわれる。後冷泉の在位中は,春秋歌合を主催したり,華美な装束で法華八講に参列したりしたが,天皇没後は宇治法定院に居住した。
(服藤早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報