デジタル大辞泉
「斎宮女御」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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斎宮女御【さいぐうのにょうご】
平安中期の歌人。醍醐天皇皇子重明親王の女(むすめ)徽子女王。938年―945年,伊勢に斎宮として赴任。20歳の時に母の喪のため任を解かれ,京に戻り,948年,村上天皇に入内し,女御となったため,〈斎宮女御〉と称された。晩年,娘規子内親王が伊勢斎宮に卜定(ぼくじょう)された際,密かに娘に同行して再び伊勢に赴いた。三十六歌仙の一人。和歌以外にも,琴,書にもすぐれ,周辺に一文化圏を形成した。家集に《斎宮女御集》がある。
→関連項目三十六歌仙
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斎宮女御 さいぐうのにょうご
929-985 平安時代中期の歌人。
延長7年生まれ。重明(しげあきら)親王と藤原寛子の娘。規子内親王の母。承平(じょうへい)6年伊勢神宮の斎宮となり,天慶(てんぎょう)8年退下。天暦(てんりゃく)3年村上天皇の女御。承香殿(じょうきょうでんの)女御とも称された。天皇との贈答歌が知られ,家集に「斎宮女御集」がある。三十六歌仙のひとり。「拾遺(しゅうい)和歌集」以下の勅撰集に45首はいる。寛和(かんな)元年死去。57歳。名は徽子(きし)。
【格言など】吹く風になびく浅茅は何なれや人の心の秋を知する(「後拾遺和歌集」)
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