「安斎随筆」の房総志料に、「望陁布」として紫藤から作る衣類のことを述べ、樵などが着るとあるので、近世頃まで実際にあったと考えられる。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…木綿の伝わる中世末期までは植物性繊維として,アサ(麻)についで栲(たえ)などとともに庶民の間には広く行われていたと思われる。藤衣(ふじごろも)というのが公家(くげ)の服飾の中で喪服として用いられたが,これはもともと粗末なものを用いることをたてまえとする喪服が,庶民の衣服材料である麻布や藤布で作られたため,このように称したのであろう。近代には藤布はござの縁布として織られた。…
※「藤衣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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