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壬生忠岑 みぶのただみね

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

壬生忠岑
みぶのただみね

平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。安綱の子で,忠見の父。六位摂津権大目。『惟貞親王歌合』『寛平御時后宮歌合』に出詠。『古今和歌集』の撰者の一人。延喜7 (907) 年宇多院の大井川行幸に供奉して和歌を詠んだ。

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デジタル大辞泉の解説

みぶ‐の‐ただみね【壬生忠岑】

平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。古今集の撰者の一人。温和で機知に富む歌風で知られる。著「和歌体十種」、家集「忠岑集」。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

壬生忠岑【みぶのただみね】

平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。下級官人の生活に終始したが,歌人としては早くから知られ,紀貫之らとともに《古今和歌集》を撰進した。歌論書《和歌体十種》は《忠岑十体(じってい)》とも呼ばれ,忠岑の作として伝えられるが,最近では忠岑に仮託された偽書であるとの見方が強い。
→関連項目凡河内躬恒

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

壬生忠岑 みぶの-ただみね

?-? 平安時代中期の官吏,歌人。
三十六歌仙のひとりで,延喜(えんぎ)5年(905)「古今和歌集」の撰者にくわえられた。歌は「古今和歌集」以下の勅撰集に80首余はいっている。官歴は左近衛(さこんえの)番長,摂津権大目(ごんのだいさかん)。子に忠見がいる。家集に「忠岑集」。
【格言など】有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂き物はなし(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

壬生忠岑

生年:生没年不詳
平安時代の歌人,三十六歌仙ひとり。安綱の子。左近衛番長,右衛門府生,御厨子所膳部,摂津権大目など,官途には生涯恵まれなかったが,歌人としては早く寛平年間(889~98)に是貞親王家歌合や寛平御時后宮歌合に出詠して名を成し,延喜5(905)年,紀貫之らと共に『古今集』の選者となる栄誉を担った。その後も,同7年『大井河行幸和歌』や同13年『亭子院歌合』で活躍するなど,長い歌人生命を保った。歌は概して穏和で叙情的なものが多いが,「春立つといふ許にや三吉野の山もかすみて今朝は見ゆらん」の詠は,『拾遺集』の巻頭を飾り,藤原公任著の『和歌九品』では最高位の上品上の歌とされるなど,極めて高い評価を得た。家集に『忠岑集』がある。なお,天慶8(945)年成立の歌論書『和歌体十種』は忠岑の作と伝えられているが,偽書説が濃厚である。<参考文献>山口博『王朝歌壇の研究/宇多・醍醐・朱雀朝篇』

(田中登)

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世界大百科事典 第2版の解説

みぶのただみね【壬生忠岑】

平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。《古今和歌集》撰者の一人。忠見の父。和泉大将藤原定国の随身,左近衛の番長などを経て,905年(延喜5)には右衛門の府生であった。左近衛将監,御厨子所預,摂津権大目などに任ぜられたらしいが,《古今集》撰者の中では最も卑官であった。《古今集》以下の勅撰集に84首,家集に《忠岑集》がある。和歌を10種類の歌体に分け,5首ずつの例歌と歌体の説明を漢文で施した歌論書《和歌体十種》(《忠岑十体(ただみねじつてい)》ともいう)は忠岑作と伝えられるが,最近では忠岑に仮託されたとする偽書説が有力である。

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大辞林 第三版の解説

みぶのただみね【壬生忠岑】

平安中期の歌人・歌学者。三十六歌仙の一人。忠見の父。古今集の撰者の一人。著「和歌体十種(忠岑十体)」、家集「忠岑集」。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

壬生忠岑
みぶのただみね

生没年不詳。平安前期の歌人。『古今和歌集』の撰者(せんじゃ)。三十六歌仙の1人。忠見の父。右大将藤原定国の随身から右近衛(うこのえ)番長、右衛門府生(うえもんのふそう)、御厨子所預(みずしどころあずかり)、摂津権大目(せっつのごんのだいさかん)などを務めて、930年(延長8)以後に没したか。早く892年(寛平4)の「是貞親王家歌合(これさだのみこのいえのうたあわせ)」、「寛平御時后宮(かんぴょうのおおんとききさいのみや)歌合」にかなりの歌を残し、『新撰万葉集』を通じて、『古今集』直前の時期には紀友則(きのとものり)とともに有力な歌人であった。『古今集』には集中第四位の36首入集(にっしゅう)。その歌は清新で鋭い機知にあふれ、また体験的、主観的に事象を割り切るところがあって、典雅さにおいて『古今集』の他の3撰者にはやや及ばない。また、その身分の低さがうとまれたのか、『古今集』以後の活躍を伝えるものがない。しかし後世、象徴ということが尊ばれるようになると、再評価されるところがあった。
 有明けのつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし[菊地靖彦]

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世界大百科事典内の壬生忠岑の言及

【古今和歌集】より

…完成奏覧は913年(延喜13)から914年の間である。撰者は紀友則,紀貫之,凡河内躬恒(おおしこうちのみつね),壬生忠岑(みぶのただみね)の4人で,友則は途中で没し編纂の主導権は貫之がとった。撰者の主張は序文に示され,〈やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける〉と仮名序の冒頭にいうように,創作主体としての人間の心を基本に据えるものである。…

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