(1)新内節の曲名。本名題《若木仇名草(わかぎのあだなぐさ)》。通称を《此糸(このいと)蘭蝶》とも。初世鶴賀若狭掾作曲。安永(1772-81)末ごろ成るか。市川屋蘭蝶という浮世声色身振師は,榊屋の遊女此糸となじみを重ね,女房のお宮が身を売った金まで入れあげてしまう。お宮は客となって此糸に逢い,蘭蝶との夫婦の成立ちを語り,蘭蝶と縁を切ってくれと頼む。此糸はお宮の真実にうたれ,縁を切ることを約束する。その様子を隣の部屋できいていた蘭蝶は,此糸の本心は死ぬ覚悟であろうと察し,お宮の願いも空しく2人は心中する。此糸のクドキ〈四谷で初めて逢うた時……〉と,お宮のクドキ〈縁でこそあれ末かけて……〉が絶唱。とくに後者は新内節の代名詞のようにいわれている。
(2)歌舞伎狂言。本名題《若木仇名草》。別称《ゆかりの色紫頭巾》。清水先勝軒作。1855年(安政2)10月大坂筑後芝居初演。新内の蘭蝶の素性を石山藩士翅(あげは)蝶三郎という武士にし,お家騒動とからめた作品。上方で数回上演された後,1897年ごろ東京で上演。この新内の部分を受けもった7世富士松加賀太夫の出世芸となった。7世沢村宗十郎はこれを得意とし,高賀十種の一つにしている。
執筆者:竹内 道敬
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新内節の曲名。本名題(ほんなだい)『若木仇名草(わかきのあだなぐさ)』。長編の端物浄瑠璃(はものじょうるり)で、『明烏(あけがらす)』『尾上伊太八(おのえいだはち)』とともに新内の代表曲。初世鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)(1717―86)の晩年の作。芸人市川屋蘭蝶と深い仲の新吉原(よしわら)の榊屋此糸(さかきやこのいと)とが痴話喧嘩(げんか)のところへ、蘭蝶の女房お宮が此糸のもとを訪れ、別の一間で会って蘭蝶と縁を切ってほしいと頼み込む。その真情にほだされた此糸は願いを聞き入れ、縁切りを約してお宮を帰すが、この会話を始終立ち聞く蘭蝶は、お宮の真心を納得しながらも此糸と情死する。初期の端物で「……でありんす」の廓(さと)ことばを使っているのはこの作だけである。新内といえば『蘭蝶』、『蘭蝶』といえば「縁でこそあれ……」というくらいなじまれている縁切り場のお宮のクドキは、事実新内の生命であるクドキ地の典型的なもので、手ほどきにもかならず用いられる一節であり、太夫(たゆう)たちが聞かせどころとして力量を発揮するくだりである。
この原曲から1855年(安政2)大坂筑後(ちくご)の芝居で清水先勝軒が脚色上演した『若木仇名草』があり、97年(明治30)東京上演のおり、富士松富士太夫(後の7世加賀太夫)の演奏が好評を博し、その詞章で演奏されることもある。
[林喜代弘]
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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