虎沢検校(読み)トラザワケンギョウ

デジタル大辞泉 「虎沢検校」の意味・読み・例文・類語

とらざわ‐けんぎょう〔とらざはケンゲウ〕【虎沢検校】

[?~1654]文禄慶長(1592~1615)のころに活躍した三味線名手師匠石村検校から伝えられた三味線組歌琉球組を発展させて、本手組破手組はでぐみをつくったといわれる。

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精選版 日本国語大辞典 「虎沢検校」の意味・読み・例文・類語

とらざわ‐けんぎょうとらざはケンゲウ【虎沢検校】

  1. 江戸初期の三味線の名手。伝来の三味線を初めて採用した石村検校を師とし、組歌本手破手を定めた人という。弟子に浄瑠璃三味線の祖といわれる沢住検校がいる。承応三年(一六五四)没。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「虎沢検校」の意味・わかりやすい解説

虎沢検校
とらざわけんぎょう

[生]?
[没]承応3(1654).4.12. 京都
江戸時代初期の盲人の音楽家。石村検校 (?~1642) 門下で,石村とともに三味線本手 (組歌) のうち現在表組として伝承されている『琉球組』『鳥組』『腰組』『不祥組』『飛騨組』『忍組』『浮世組』を作曲したと伝えられる。あるいは『琉球組』は石村で,残り6曲を虎沢が作曲したともいわれている。門下に,浄瑠璃三味線の祖といわれる沢住 (角) 検校や,柳川検校の師といわれる山野井 (山井) 検校がいたと考えられる。

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朝日日本歴史人物事典 「虎沢検校」の解説

虎沢検校

没年:承応3.4.12(1654.5.28)
生年:生年不詳
江戸初期の三味線組歌の創始者。浄瑠璃三味線の祖沢住検校や山井(山野井)検校(地歌柳川流の祖柳川検校の師)の師。師の石村検校と共に三味線組歌表組7曲を作曲したとも,その中の「琉球組」を除く6曲を作曲したとも伝えられる。伝記など不詳。検校は盲人社会の組織当道における最高位。<参考文献>平野健次『三味線と箏の組歌』

(久保田敏子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「虎沢検校」の解説

虎沢検校 とらざわけんぎょう

?-1654 江戸時代前期の三味線奏者。
初期三味線音楽大成者。石村検校にまなぶ。師とともに三味線組歌の表組(おもてぐみ)7曲の作曲にかかわったという。門人に沢住(さわずみ)検校,山野井検校がいる。承応(じょうおう)3年4月12日死去。

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世界大百科事典(旧版)内の虎沢検校の言及

【琉球組】より

…三味線組歌の曲名。三味線そのものを日本にもたらしたともいわれる石村検校の作曲と伝えられるが,虎沢検校の作または補作説もある。現行するものは,柳川流では柳川検校の編曲,野川流では野川検校の編曲と思われ,いずれも表組の第1曲とする。…

※「虎沢検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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