生没年不詳。室町末期(16世紀後半)に琵琶法師(びわほうし)から三味線演奏家に転じ活動したといわれる。盲人。石村検校を三絃(さんげん)の最初の取扱い者としたものに次の諸記録がある。
文禄(ぶんろく)年間(1592~96)琉球(りゅうきゅう)(沖縄)に渡り、京都へ帰ってから三味線をつくりだしたという『糸竹初心集』の記述。琉球へ漂着した梅津少将が月琴を学び、1562年(永禄5)帰国後、その子石麻呂(のち盲官を得て石村検校)が月琴を改良して三味線をつくったとする『琉球年代記』の説。そして文禄のころ堺(さかい)中小路に住む石村検校が琉球から渡来した二絃の蛇皮線を改良して三線と名づけたとする『野河検校流三線統系序』の記述。ほかに『海録』などの諸書にもみえる。
また、三味線組歌の本手の最初の作曲者といわれる。
[林喜代弘]
『藤田徳太郎著『三絃の免許状』(『東亜音楽論叢』所収・1943・山一書房)』▽『吉川英史著『三絃伝来考』(『三味線とその音楽』所収・1978・音楽之友社)』
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(千葉優子)
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…これを,〈三味線本手〉ないし〈本手〉と称したが,のちには〈三味線組歌〉などとも称した。その中でも最古典曲は,石村検校作曲とされる《琉球組》であるが,虎沢検校を経て柳川検校に至るまでに,増補・整理された。とくに柳川が〈カタバチ(片撥)〉(撥を弦にあてて胴皮におろす普通の弾き方とスクイ撥が交互になるモロバチが本手には用いられたが,これに対して普通の弾き方のみが連続する)の奏法によって新作したものを〈破(端・葉)手(はで)〉と称してから,それ以前のものを,狭義の〈本手組〉(表組)と称した。…
…渡来してから多くの改良が加えられた。最初の改良者として,琵琶法師の仲小路(なかしようじ)説,石村検校説,さらにこの2人を同一人とする説もある。いずれにしてもこの楽器を最初に手にしたのは,当時の琵琶法師たちで,手指や義甲で弾いた中国の三弦を彼らがそれまで利用していた大きな撥で演奏するようになり,一木(いちぼく)をくり抜いて作った胴を,より大きくし4枚の板を合わせて作るようにした。…
…三味線組歌の曲名。三味線そのものを日本にもたらしたともいわれる石村検校の作曲と伝えられるが,虎沢検校の作または補作説もある。現行するものは,柳川流では柳川検校の編曲,野川流では野川検校の編曲と思われ,いずれも表組の第1曲とする。…
※「石村検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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