デジタル大辞泉 「沢住検校」の意味・読み・例文・類語 さわずみ‐けんぎょう〔さはずみケンゲウ〕【沢住検校/沢角検校】 室町末期から江戸初期に、京都で活躍した琵琶法師。虎沢検校の門弟で、初めて浄瑠璃に三味線を合わせて演奏したという。生没年未詳。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「沢住検校」の意味・読み・例文・類語 さわずみ‐けんぎょうさはずみケンゲウ【沢住検校・沢角検校】 琵琶法師。室町末期から江戸初期にかけて活躍。虎沢検校に三味線を学び、三味線を浄瑠璃の伴奏楽器として語ることを創始したという。生没年不詳。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「沢住検校」の意味・わかりやすい解説 沢住検校 (さわずみけんぎょう) 盲人の三味線音楽家。沢角とも書かれる。生没,検校登官年月日等不詳。勾当説もある。16世紀末の京都で活躍。《色道大鏡》に,沢住が浄瑠璃の伴奏に三味線を用いはじめたように記されるところから,浄瑠璃三味線の祖とされる。その門から,浄瑠璃太夫の薩摩浄雲が出たとも伝えられる。義太夫節の三味線弾きの姓に,竹沢,野沢,鶴沢,豊沢などと〈沢〉の字がつくのは,沢住を祖とするためともいわれる。執筆者:平野 健次 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「沢住検校」の解説 沢住検校 生年:生没年不詳 室町末期から江戸初めにかけての琵琶法師。沢角とも書く。『色道大鏡』(1678)によれば,虎沢検校相伝という三味線を,平曲の琵琶に準ずるように,はじめて浄瑠璃の伴奏楽器に用いたという。平曲をやつして浄瑠璃を語りはじめたという滝野勾当らと共に,近世音曲としての浄瑠璃芸の成立に深いかかわりがあったとされるが,これも伝承の域を出ない。三味線弾きの竹沢,野沢などの姓は,彼の「沢」の字に由来すると伝える。<参考文献>角田一郎「三味線音楽」(『岩波講座/日本の音楽・アジアの音楽』2) (阪口弘之) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢住検校」の解説 沢住検校 さわずみけんぎょう ?-? 織豊-江戸時代前期の琵琶(びわ)・三味線奏者。浄瑠璃(じょうるり)の伴奏に,従来の琵琶にかえてはじめて三味線をもちい,浄瑠璃三味線の祖とされる。その門から薩摩(さつま)浄雲がでたとつたえられ,また義太夫三味線方の竹沢,鶴沢,野沢の沢は沢住に由来するという。沢角ともかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沢住検校」の意味・わかりやすい解説 沢住検校さわずみけんぎょう 室町時代末期から江戸時代初期にかけての盲人音楽家。沢住勾当,沢角 (さわのづの) ともいう。虎沢検校から三味線本手の伝承を受けたとか,初めて三味線を浄瑠璃の伴奏に用いた『浄瑠璃物語』の改修または作曲を行なったとか伝えられる。古浄瑠璃の太夫薩摩浄雲の師ともいう。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by